軍都広島の歴史を学ぶ史跡

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軍都広島の歴史を学ぶ史跡

大本営跡・中国軍管区司令部地下壕跡(広島城)

大本営は戦争時の最高統帥機関です。日清戦争の時に臨時的に広島に置かれ、明治天皇自らこの場所で指揮をとっていました。
また中国軍管区司令部には、半地下式の作戦司令室、通信室が設けられていました。この通信室の軍事用電話から学徒動員された女学生が広島の壊滅を通信しました。これが広島の原爆被災の第一報とされています。
予約をすれば見学ができます。

【お問い合わせ先】 広島市動植物園・公園協会 TEL : 082-228-0811

軍用桟橋跡(広島港・宇品波止場公園)

1889年(明治22年)に造られた港で、日清戦争から第二次世界大戦まで、数多くの兵士や軍事物資を乗せた船がこの桟橋から出航していきました。

MAP(南区宇品海岸三丁目)

【アクセス】 路面電車 広島港行「海岸通」下車⇒海岸通東へ「宇品海岸3丁目12番」の交差点を右すぐ

旧陸軍糧秣支廠(広島市郷土資料館)

戦前は陸軍糧秣支廠の缶詰め工場として使われ、爆風を受けて折れ曲がった屋根の鉄骨を見ることができます。現在は広島市の郷土資料館として使われ、地場産業の紹介や生活文化の資料が展示されています。

【お問い合わせ先】 広島市郷土資料館 TEL : 082-253-6771

旧陸軍被服支廠(旧日本通運出汐倉庫等)

被爆当時は陸軍の被服物資の補給基地でした。爆心地から約2.6kmも離れているのに、原子爆弾の爆風により変形した西面の鉄扉を見ることができます。

MAP(南区出汐二丁目)

【アクセス】 路面電車 広島港行「皆実町二丁目」下車⇒交差点東へ約600m⇒広島県立広島工業高等学校が目印

陸軍墓地

1872年に陸軍将兵の共同墓地として、現在の放射線影響研究所一帯に設置されました。西南戦争から太平洋戦争にいたる墓碑が建立されています。

【アクセス】 路面電車 広島港行「比治山下」下車⇒徒歩15分

似島

日清戦争後に帰還する将兵の検疫所が建設されたのをはじめに、その後も、捕虜収容所や弾薬庫などが作られ、島の半分が軍隊の施設で占められました。原爆投下後は、救護所が作られ多くの負傷者が運ばれ息を引き取りました。

【アクセス】 路面電車広島港行「広島港」下車⇒広島港から似島行フェリー20分

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