50年に1度、通り御祭礼が催されていた東照宮 原爆を生き残り江戸時代の姿を残す建築も
徳川家康公の御神霊を祀るため、時の広島藩主浅野光晟(みつあきら)公によって慶安元年(1648)に建立されました。
光晟公の生母振姫(ふりひめ)が家康公の第三女であったことから、東照宮の造営には特に熱心で、二葉山の麓に華麗な朱塗りの社殿を造営しました。
寛文6年(1666) の家康公の50年忌から50年ごとに、神輿渡御(みこしとぎょ)を伴う盛大な祭り、「通り御祭礼(ごさいれい)」が催されるようになりました。
「通り御祭礼」は文化12年(1815)を最後に一時途絶えていましたが、平成27年(2015)には200年ぶりに正式に復活しました。
本殿と拝殿は原爆により焼失し、その後再建したものですが、創建時から存在する唐門、翼廊、手水舎、本地堂、御供所、脇門、神輿は広島市指定重要有形文化財に指定されており、江戸時代初期の建築の特徴を残しています。