国宝指定の金堂など多くの文化財を持つ、恵瓊ゆかりの真言宗別格本山
現在の不動院の地に、最初に寺院が建てられた時期は明らかではありませんが、金堂内に安置されている薬師如来坐像などから、平安時代の終わり頃には、すでに伽藍が存在していたと考えられています。
その後南北朝時代には、足利氏が全国に設立した安国寺のひとつとされ、守護武田氏の保護のもとで栄えましたが、大永年間の大内氏と武田氏の戦禍で伽藍は焼失してしまいました。
これを再興したのが恵瓊であり、毛利氏の外交僧として活躍し、豊臣秀吉からも厚い信任を得ていた彼は、その力を背景に安国寺の建て直しを行い、中央の大社寺にもひけをとらない大寺としました。
恵瓊亡きあとの安国寺には、福島正則の祈祷僧であった宥珍が入り、この時に院の名を不動院としたと伝えられています。
不動院は、国宝である金堂など数多くの文化財を所有しています。
昭和20年8月6日の原爆投下に際しても山麓という地理的条件で災禍を逃れ、多くの文化財を失った広島にとって不動院は貴重な存在となっています。