本殿の大きさは国内最大級
この神社は、承平3年(933)に九州の宇佐八幡宮から勧請されたとされる古い神社です。正徳5年(1715)に火災に遭って宝物や古文書を焼き、正確な縁起を知ることはできませが、現在の神殿は、享保9年(1724)に、5代藩主吉長の許可を得て3年の歳月をかけ再建されたものです。
本殿は町の重要文化財に指定され、近世寺社建築の初期例として貴重な建築物です。宮大工の鳥居甚兵衛がこの神殿の造営にも携わっており、その様相は、下賀茂神社を典型とする流造りでスマートさがあり、また桃山文化の豪華絢爛な装飾の名残もあります。大きさから見れば、通常の神社建築の2.6倍の体積を持ち、わが国でも最大級の規模を誇る珍しい神社です。
これだけの規模の建築物を作る多額の費用を、当時の農民が負担したことを考えると、熊野の財政の豊かさを計る良い研究材料であるといえます。
また、境内の玉垣が作られたのは安政6年(1859)で、その当時熊野には筆の商売で大豪商が出てきた時期でした。これらの豪商は村の中で神社の再建や寺院の修復があるたびに多大な寄付・寄進をしていました。この玉垣は建築年代が明確で、文化財としても価値があり、町の重要文化財にも指定されています。