広島市立高等女学校の生徒と職員を悼む碑 原爆を指す文字には連合軍占領下の事情がうかがえる
建立年月日 昭和23年(1948年)8月6日
現在の平和記念公園~平和大通り一帯(爆心地から約500m。当時は材木町~木挽町)の建物疎開作業に来ていた広島市立高等女学校の1、2年生544人、職員8人は、全員が亡くなりました。この学校では他の動員先を含め、679人が被爆死し、市内の学校では最も多くの犠牲者を出しています。 友垣にまもられながらやすらかに ねむれみたまよ このくさ山に 宮川雅臣という碑の裏の短歌作者は当時の校長です。中央の少女が持つ箱には、アインシュタインの相対性理論からとられた原子力エネルギーの公式(「E=MC2」)がきざまれています。連合軍の占領下、「原爆」という文字が使用できなかった当時の事情を表しています。
INFORMATION
- 営業時間
- 年中無休
- 住所
- 〒730-0811広島県広島市中区中島町1(元安川河岸、平和大橋西詰)