ものづくりの町
BINGO!福山で
ライフタイムメイドデニム
「“最上級”の非日常」
100万円のジーンズに、100年を思う極み旅。
「“最上級”の非日常」
100万円のジーンズに、100年を思う極み旅。
「広島で、本物のテロワールと職人魂に触れたわ。風土の魅力そのものをね、ワインで表現しているの」手土産の瀬戸内シードルをシンタロウのグラスに注ぎながら、食育プロデューサーがうっとりと語った。
彼女の話は、旅好き、職人好きな僕をすっかり魅了していた。「備後地域の福山は、造船・鉄鋼なんかの産業以外に、繊維業も盛んみたいだよ。あなたのお気に入りのイタリアみたいにさ、革新的な工房巡りとか、できるかもよ」なるほど、確かに。
「なんでもマニファクチャーツーリズム®、っていうジーンズ作りの旅があるんだって。ご予算なんと100万円。でも、シンタロウくんそういう『体験+ものづくり』には目がなさそうだし、行ってみる価値あるんじゃない?」
そう言われて、最近すっかり錆びついていた好奇心が疼き始めているのを感じずにはいられなかった。そして1週間後、100万円の相棒を求め福山へと新幹線で向かっている僕がいた。東京から新幹線で3時間半。「JR福山駅」に到着した。
繊維産業が栄えた土地、福山の歴史をたどるには十分な時間だった。
1622年に福山藩の初代藩主 水野勝成が綿花の栽培を推し進めたことから始まり、1852年に日本三大絣(かすり)のひとつ備後絣(びんごがすり)が生まれた。第二次世界大戦中には軍服の生産を余儀なくされたものの、厳格な規格により縫製技術が向上。東京五輪の頃にはホテルの開業ラッシュなどもありワーキングユニフォームの産地としてさらなる発展を遂げ、1970年代日本初のロープ染色機の完成を境に隆盛、大小様々なデニム生産工場が誕生したのだ。
そんな福山で「最上級のもの」を表す言葉。
「ぼれぇ(ものすごく)」+「ええが!(いい!)」=BoleeGa。
それが、今回世界に一つ、極上の一本を作り上げる旅を提供してくれるプロジェクトの名前だ。「ボレーガ!」口にするとなんとも心地がいい陽気さ。イタリア語みたいでいいじゃないか。
福山は、ばらの町としても知られている。到着すると駅前のタイルや、観光案内板のところのステンドグラスなど、薔薇のモチーフがそこかしこに見られた。
生産現場、職人さんを直接訪ねることができるのが今回の旅の醍醐味であると知り、早速予約していたスポーツカーをピックアップした。100万円の相棒を迎えにいくには、ぴったりの車だ。
今回の旅は4泊5日。その間、ずっと福山に滞在する。なぜなら1本のジーンズが完成するまでのほぼ全工程を、自身の足でめぐることができるからだ。
染色方法の決定、生地選び、パターン作成、ボタンやリベットなどの副資材とディテールの決定、製作に参加も可能だという。その上、協力企業は創業100年を超える企業4社に加え、100年に迫る企業、100年を目指す企業ばかりとのこと!各工房とも代表や、次世代の担い手さんに直にお話を伺えるとのことで、経営者としても胸が高鳴る。
まずは染色選びから。福山駅から北へ車を走らせること約30分、土手沿いに、下町から、プライドを掲げ宇宙を目指すドラマを思い出させるような看板が見えた。日本唯一の染色機のある染屋さん「坂本デニム」に到着だ。
「こんにちは!5日間、よろしくお願いします」
ここでProject BoleeGaの代表、橘さんとご対面。事前にメール等ではやり取りしていたが、さすがこのようなプロジェクトを立ち上げるだけあって、パワフルな印象だ。続けて、坂本デニムの坂本さんをご紹介いただき、工場ツアーへとアテンドしていただく。
坂本デニムのポイントは、世界一のサスティナブルなエコ染色技術と、デニムの特徴である「濃色で芯白(しんしろ)」にすることが可能、という点にあるという。 温水と洗浄薬剤を使わない独自のシステムはCO2の削減につながり、世界に先駆けて環境に配慮したものづくりを提案している。「いいものづくりは当たり前。世界の見本を目指す」という姿勢が、120年以上「同じ土地」で「同じ水」を使い続けていることにも表れているようだ。
工場の機械の中を坂本さん、橘さんと歩いていく。
紡績工場から、染める前の綿糸がチーズ状に巻かれて持ち込まれる「原糸」。スムーズに染めができるよう、数百本の糸を束ねてビーム( 幅2.5メートルの金属整筒 )に巻き取る「整経」。整経で巻き取った糸を独自開発したロープ染色機で染め上げる「染色」。ここでの糸の芯を染めない芯白染色法の仕上げは、芯が白く残るので綺麗な色落ちを楽しむことができる。その後、染め上がった糸の束をビームに巻き取っていく「分織」を経て、糊付などを行い機屋(はたや)さんへ染糸が出荷されていくのだそうだ。事前に工程の説明を受けてはいたが、どの作業場も圧巻で、世界のデニムの心臓部を見ているようだった。
創立100周年を記念して創業時の藍染の工程を再現した記念館も拝見した。手織り機や当時使われていた甕はどこか誇らしげで、暖かい眼差しで今の成長を見守っているように思えた。
いきなり初めからスケールに驚いたことと、取り組みに感激したことをお礼とともに坂本さんに告げ、早速もう一つの染色方法を見に「藍屋テロワール」へと向かう。興奮が治まらないのか、スポーツカーのハンドルを握る手にも、つい力が入った。
続いての藍屋テロワールは、藍の栽培から染色までを一貫して行っており、化学薬品を一切使用しない完全天然藍染による藍色の美しさを堪能できるのが魅力だそうだ。
坂本デニムから車で30分ほど。山野町という場所は、猿や猪もいて、夏は川に入ったりすることもできる自然豊かな土地らしい。今日は、藍染が有名な徳島県で修行をされた藤井さんにお話を伺いながら、初めての藍染体験をさせてもらうのだ。
到着し、綺麗な藍染の暖簾のかかった作業場を訪ねると、藤井さんが出迎えてくれた。髭も髪型もオシャレで、まるでアパレルショップの店員さんのようだ。しかし、手を見て驚いた。その顔に気づいた藤井さんは「手袋をしていてもいいんですけどね。微生物の働きで染めているから、素手の方が調子がどうかの具合がよく分かるんです」とその手を誇らしげに、そして優しい表情で見つめながら答えてくれた。
体験の前に、お話を伺いながら見学をさせてもらう。
藍の栽培は恐ろしく手間がかかる。冬の間から畑を耕し、春には種をまき、苗を育てる。6月から9月にかけては収穫。同時に葉と茎を選別し、葉藍を天日干しする。
そうして迎えるのが冬の「蒅(すくも)づくり」だ。「寝せ込み」と言って、10月の大安に合わせて乾燥した葉藍を約120日かけて発酵させていく。週に一度、葉の山に水を打ち、かき混ぜ、酸素を供給する。この「切り返し」は冬の間に約18回を数え、これをまた繰り返していくのだという。
「まるで農家ですね…」「1年の大半は畑にいますね」水を打ったばかりだという、葉の山を目の前に藤井さんは語る。そこに、神祭用具の御幣のようなものが捧げられていた。「手の入れようもないから、神に祈るしかないんですよ」真剣な眼差しで藤井さんは続けた。「藍神様がいるんです」神聖な空気を肌で感じ、思わず息をのんだ。
こんなに大変な作業なのに、どうして藍屋テロワールを始められたのか。藤井さんに伺ってみた。
「とある藍染体験がきっかけだったんです。一気に青くなる瞬間があって。その体験がやみつきになって、人生が変わっちゃったんですよ」
テロワールとは、ワインの用語で「ブドウ樹をとりまく環境すべて」を意味する。この土地にしかない、土や水、空気と共につくりあげる藍の色合いをお届けしたいという想いで作り上げているのが藍屋テロワールなのだ。
藍染の準備をしながら「人生変わっちゃうかもしれませんよ」と藤井さんがイタズラっぽく笑った。
説明を受け、いよいよ体験だ。3回ほど、浸しては絞りを繰り返し、空気に晒すと一気に発色した。確かに、緑色っぽかったのが青になった。「あっ!」藤井さんと顔を見合わせる。その後、外に出て水にさらす。白かったハンカチが鮮やかな藍色に染まった。
染めたてのハンカチを受け取り、見学と体験のお礼をお伝えし、これからどうされていくのかを聞いた。
「スマートにはできないですよ。でも、だからこそ工芸を、産業や工業につなげていきたい。ブランドなどとのコラボで知ってもらう機会が増えて、藍染体験や収穫体験に来てもらえたら嬉しいです」
収穫シーズンだけの生葉染め体験もできると聞き、ぜひお手伝いに!と伝えると「藤井さんの藍染事業はこの山里の地域活性にも大いに貢献しています。遊休地を借り上げ藍を植え、藍染に使えない茎や根を近隣の家畜の飼料として提供したり。」と橘さんから補足が。
生い茂る藍を見に来たい。人生まではまだ分からないが、少なくとも藍染を見る目は確実に変わった。
初日の全行程が終了、橘さんと別れて向かったのは鞆の浦だ。
由緒ある旧跡、昔ながらの風情が残る町並みにぴったりな夕暮れ時に到着。カートを転がす石畳の音が心地よい。時間に追われることなく、ゆっくりとジーンズを待つことこそが最大の贅沢と感じ、この町に滞在することを決めたのだ。
決め手となったのは宿もある。「NIPPONIA 鞆 港町」。温かなまちの人々が、家守と一緒にお迎えしてくれるという、地域の方と共につくり上げる宿だ。
「こんにちは」モダンなロゴの入った暖簾をくぐり引き戸を開けると、家守の鳥井さんが鞆の海のように穏やかな笑顔で出迎えてくれた。次に、立派なテーブルに目がいった。屋久杉の飾り棚を利用したものだという。「使えるものはできる限り使う、というのがテーマなんです。松の梁も立派でしょう。180年前のものなんですよ。海水で防腐処理してあるんです」立ち上がり、つい手で撫でてしまう。無言で過去と対話ができているような気持ちになる。「町の空き家から出てきた様々な古き良いものを、そのまま活用しています。アレも現役なんですよ」とても清潔な部屋の隅に目をやると、堂々とした佇まいで黒電話が置いてあった。
そんな話を聞きながら室内を堪能する。「青海波(せいがいは)、ですか」壁のアートが気になって聞いてみる。「よくご存知ですね。鞆は帆船で栄えた町でして、帆を畳むための枠を利用しアーティストさんに作っていただきました」そういえばさっき見た町の路面にも青海波のモチーフは使われていた。海に対する愛とリスペクトが感じられる。やはり、ここの宿に決めてよかった。
チェックインを済ませ、山の手にある宿泊棟へと移動する。徒歩10分の道のりは、資料館の館長、町内会長が務める案内人の方が同行してくれるという。
「鞆の魅力は人、なんです」1日でも土地の住民になってほしいから、ふれあいの仕掛けをたくさん作っているのだそうだ。そのため、施設を分散させているし、施設内にレストランは設けていない。なぜなら、町内の飲食店へ出向いてもらい港町の雰囲気を食事でも味わってもらいたいからだそうだ。
町内を歩き、のんびりと向かう。これぞ「鞆さんぽ」。
道中、歴史や物語が隠された路地、映画のロケ地になったことなど色々教えていただいた。夕日の光が道になって海に映る夕暮れの大波止や、“鞆の浦ブルー”と称される宵闇の空など、宿に着く前から4泊とっておいてよかったと思いながら越してきた住人の気分になっていた。
ENOURA。ここは、第78 代内閣総理大臣を務めた宮澤喜一氏が、自身の休息の場、大切なゲストを招く場として滞在した元別荘。「波間に小舟がたゆたうように、“何もしない”贅沢を心ゆくまでご堪能ください」と案内にあったが、もちろんそのつもりだった。
宿泊する広縁 / HIROENで荷を解く。鞆で最も眺めの良い場所に建てられた、というのは本当だった。ゆったりとした広縁、高い天井、意匠を凝らした建具や装飾。そしてベッドカバーや館内着はなんと、明日伺うデニムメーカー篠原テキスタイルのものだという。早くこのベッドカバーに包まれたい!
しかし、旅好きな僕は町も食事も楽しみたい。そして1人で町の料理店へと向かった。地元の人からも愛され続ける和食店、「季節料理 衣笠」だ。
地元や近隣の港で水揚げされた鮮魚をはじめ、日常的に親しまれているこの土地の味を、NIPPONIA 鞆の特別コースとしていただいた。地元ならではの干物や小魚料理に舌鼓をうちながら、海の青を思い出し、どんなジーンズにしようかと妄想を膨らませた。
翌朝、目を覚ますとベッドカバーと同じくらい清々しい青空が広がっていた。今日は生地とデザイン打ち合わせの日。贅沢な悩みを楽しむための腹ごしらえを済ませ、乗り慣れてきた愛車で「篠原テキスタイル」へと向かった。
2日目の最初は、生地を決める工程。創業115年(2022年現在)の高級特殊生地を得意とする篠原テキスタイルにお邪魔する。ショールームにはウッドチップが原料のテンセル生地(栽培・加工などの面で綿花よりも環境にやさしい)をはじめとした約1000種類の生地がある。よりこだわるのであれば、たて糸よこ糸の選択や、Project BoleeGaでは世界の高級原綿約20種類から選択できる特別プランを用意している。
ジーンズソムリエでもある5代目の篠原さんとご挨拶をする。こちらのベッドカバーと一晩を共にしたせいか、篠原さんのお人柄か。すぐに打ち解けて話は盛り上がった。
「じっくり素材から選んで納得の一着を仕上げましょう」
圧巻の生地サンプルが並ぶ中で、弟さんが実際履いていたと言うジーンズを片手に色落ちについての説明をしてくださる。
同じ生地でも色落ちの度合いまで調整できること、糸のデコボコ具合で表情が変わること…説明の一つ一つに生地への愛を感じる。また、綿についても実際に原綿の手ざわりを確認しながら説明を受ける。直接触れるからこそ理解が深まる。「一日中いられますね…」好奇心が言葉となって素直に口から出た。こちらの拙い言葉でも丁寧にヒアリングして、最終イメージへと導くべく、最適なものを次から次へと提案してくれる。さすがはジーンズソムリエだ。
あまりに時間をかけてしまうものだから、続きは工場を見てから、ということになった。織機の音が響く中、生地になる前の段階、染色された糸の束の間を歩きながら話を聞いた。
「生産工程をより深く知ってもらって、愛着を持ってもらいたいなって思っています」
篠原さんは生地を撫でながら続ける。
「履くたびに思い出してもらえるし、世代をつなぐことができると思う。究極、代々引き継げるものって、一番のサステナブルじゃないですか」
そんな話を聞いてからだと、織機の音もまた違って聞こえた。空気の力でヨコ糸を飛ばす最新型のエアージェット機。シャットル(杼)でヨコ糸を飛ばす旧式織機。青い綿が雪のように舞う中、全く違う二つの音にしばし聞き入った。旧式織機は壊れやすい、生産効率も悪い。しかし不均一なザラつきのある風合いや表情はこの織機でしか表現できない、それが赤耳と呼ばれる反物の両端のほつれを防ぐ部分だという。
外に出ると、使われていない旧式の機械がいくつも並んでいた。メンテナンス用の部品取りに、と事業をやめた会社から引き取っているらしい。しかもわざわざトラックを出してまで。つないでいるのは履く人の思いだけではない。作り続けたかった人の思いもあるのだ。
旧式織機のあたたかいハンマーの音に惚れて、自分のジーンズは厚手の赤耳がついた生地に決めた。アフリカのブルキナファソという国の綿で、昨日伺った坂本デニムで染められたものだそうだ。「無骨で、育てて行きたい欲を掻き立てる生地ですね。このフェアトレードの綿を使うことで現地への社会貢献に参加できる」。ジーンズ一本で、青い海の向こう、遠い国のことを思ったことなど一度もなかった。しかし今は、いつかブルキナファソに行きたいと思う自分がいる。
ありったけの感謝を込めた握手をして、篠原さんとお別れをした。
「想いを込めるからこそルーツをたどって、また来てほしいですね」
篠原さんが生地に込めているその思い、忘れませんからね、と胸の中でつぶやいた。
篠原テキスタイルから車を走らせ約10分。芦田川の土手沿いにある「ミルクリエイト」に到着した。こちらでデザインを決め、採寸をし、副資材を決める。
ミルクリエイトは、ファーストサンプルの作成というアパレル業界において大変重要な工程を担っている。同時にそれは最も技術力の高い職人を抱える企業であるということを意味しているそうだ。
それだけ聞いて、どんな厳しい職人さんが出てくるんだろう…と覚悟していたら出迎えてくださったお三方は、着慣れたデニムのように柔らかい物腰の方々だった。代表の水成さん、取締役の三田さん、主任の佐藤さんだ。
BOTTOU(ボットー)という工業用ミシンを一般に開放したシェアアトリエに通してもらう。目移りするカラフルな糸がまず目に入ってきた。白く塗られたアメリカの工房のような壁がそれを際立たせていた。
「今日ここでデザインを決めます。生地を前に、思いをぜひ聞かせてください」と言われ、3人の柔らかな雰囲気に甘え、ついつい喋りすぎてしまう。「身長180オーバーなので、ウエストで決めると長さが足りないんです」「白いTシャツにジーパンが一番格好いいと思っているんです」「スニーカーにも、フォーマルにも合うようなものがいいんです」etc…にこやかにうなづきながら「カジュアルな時はロールアップをするとか?」など、こちらの想像に勢いがつく質問を返してくださる。
大体のイメージを掴んでいただいたところで、総丈、股下、太もも、ヒップ、膝周りから足首まで…入念に採寸をしてもらい、工場をご案内いただく。
まずは裁断場。洋服のパーツをパターン通りに裁断していく場所だ。モーターの音が響き、職人さんが真剣な目でプリンターで出力したパターンを切り出していく。「両親が裁断業を営んでいたんですよ」と水成さん。ここにもまた1人、思いと技を受け継ぐ人がいた。そんな水成さんは『繊維 産地継承プロジェクト委員会』のデニムスクールのメンバーであり、カリキュラム創作、指導などの活動もされている。
「水成社長は、ソーイングサムライ、って呼ばれてるんですよ」Project BoleeGa代表の橘さんが教えてくれる。確かに、おしゃれにまとめられた髪はチョンマゲにも見える。「鋏を置くときに切るんだそうです」と佐藤さん。笑いながら、互いの信頼関係がこのプロジェクトの質の高さと熱量を生み出しているのだと感じた。
次は量販の縫製工場だ。「社長はファクトリー、って呼んでます」そのファクトリーではソーイングスタッフの方が背を伸ばしながら生地と向き合っていた。洋服は通常30から40パーツで構成されており、ジーンズは大体15パーツでできているそうだ。ミシンの種類も一つではないらしく、それぞれに役割があるとのこと。そう、きっと人も一緒だ。
「では、また明日もよろしくお願いします!」
今日はここまで。はやる気持ちを抑え、ミルクリエイトからまた鞆の浦に戻ってきた。また鞆時間を味わうために、宿に戻る前に徒歩で町を散策した。
まずは福禅寺 対潮楼(たいちょうろう) 。こちらは「いろは丸事件」の際、坂本龍馬ら海援隊と紀州藩が実際に談判を行った場所だ。座敷からは鞆の浦の素晴らしい眺めを一望することができ、窓枠を額としてみる風景はまさに一幅の絵、と例えられているそうだ。
絵の中を行く船もまたご愛嬌、堪能した後は瀬戸内海を代表する往時の商家の佇まいを今に伝える建造物群であり、江戸時代から鞆の浦で作られている薬用酒「保命酒(ほうめいしゅ)」の蔵元だった太田家住宅を横目に常夜燈へと向かった。
途中、保命酒のお店のお母さんから声をかけられ一口いただいた。飲み口は甘く、生薬が独特の味わいをもたらすこのリキュール、「寝る前に飲むと夜中起きなくなりましたねぇ」とお母さんが言うものだから、一番小さなボトルをいただいた。
常夜燈に到着。江戸期の港湾施設に必要だった常夜燈、雁木、波止場、焚場跡、船番所跡がほぼ完全な形で現存しているのは、全国でもここ、鞆港だけだそうだ。港の常夜燈としての大きさは日本一で、“潮待ちの港”として栄えた鞆の浦の1番のシンボルとなっている。
昼間聞いていた機械の音とは違った静けさ。しかしどちらも心地が良いのは紡がれてきた時間のせいだろう。そんな時間の中、しばし静寂に⽿を澄ませていた。
3日目。今日もミルクリエイトに向かう。糸などのディテールを決めるのだ。
ステッチのサンプルを前にポケットの形などを検討する。何を入れるか?どのくらいの大きさが使いやすいか?そして格好いいか。開口部まで細かに調整してもらえる。副資材の話になると、水成さんが教えてくれた。「リベットなど、鞆の鉄工場で一個ずつ叩き出して作ることもできますよ」Project BoleeGaでは地元企業の登用を積極的に行っている。目の前にあるサンプルだけでも迷うのに、なんて贅沢な悩みだろうか。
「金ピカのものより、伝統的な色がいいですね。履いていくことで、福山の伝統を一緒に守っていけるような…そんな色がいいです」
良いものを作るためのたくさんの対話。時間がいくらあってもいい。ずっとこの心地よい制作時間が続けばいいとさえ思えてくる。そうして、糸などの色も決めて、仕上げの工程へと入ってもらうことになった。今日のジーンズ作りのミッションは一旦ここで終了だ。
実は、福山に隣接する府中市にも世界に誇るクラフトがある。ジーンズに加え足元も!と午後から向かったのは、日本製ハンドメイドスニーカーメーカー「スピングルカンパニー」の隣にある「VulcaCAFE(バルカカフェ)」だ。 ショールームのある「靴」と「CAFE」という異色のコラボが織りなす空間で、ここ3日間での体験をゆっくりと振り返ろうという狙いだ。
名前はもちろん同社のスニーカーの特徴でもあるソールを仕上げるためのバルカナイズ製法からきている。元々倉庫だった場所はファクトリーっぽいテイストでギャラリーカフェに生まれ変わり、ガラス越しに歴代の靴を眺めながら本格コーヒーを楽しむことができる。 おすすめなのはコーヒーだけではない。VulcaCAFEのスペシャリテ、それが「The Waffle」だ。「靴もワッフルも、共通する点はハンドメイドの本物、ということです」と店長は語ってくださった。
お話を伺っていると、スペシャリテが到着!この日はオレンジのシロップ漬けとクリームチーズのワッフル。目の前で散らしてくれるローズマリーとブラックペッパーがアクセントだ。ナイフとフォークで優雅にいただく。
「んんっ!」
サクッとした口当たり。第一印象は「甘くない!」そう驚きつつ、意外な組み合わせがなんとも言えぬ幸せを口中に生み出してくれた。カフェのコンセプトである「本物とライフスタイルのデザイン」。過ごす時間をデザインするということにぴったりなひとときだと実感した。
“ちょっと人に語りたくなるような、ストーリーがある靴づくり”。を大切にしているというスニーカーたちを改めて眺めながら、3日間で出会ったたくさんの職人さんたちの顔を振り返った。すでに、誰かに語りたいことだらけだ。そう思えることが、ゆったりと待つこの時間をさらに豊かにしてくれた。
通常スニーカーなどではあまり使用しないようなレザーや多種多様な革を使い、高温の釜に入れて作るバルカナイズ製法と、想像以上の手作業による労力と手間暇をかけ、世界に一足の表情を作り出しています。
https://www.spingle.jp/4日目。ついに今日が最後の打ち合わせ、総仕上げだ。今日も宿からミルクリエイトへと車を走らせる。すでに気分は福山の住人だ。いつも以上にニコニコ笑いながら出迎えてくださる3人、挨拶も早々になじみとなったBOTTOU(ボットー)のドアを開ける。すっかりパンツの形をしたジーンズと対面する。
イメージ通りだ。
いや、それ以上だ!!
要望通りのテーパーのかかり具合、ステッチの色、ポケットの形…普段の仕事でもそうだけれど、予想を裏切るのが、期待に応える、ということだと思っている。完全に期待に応えてくださったことに感謝を超えて興奮を覚える。
残すは副資材をつけていく作業なのだが、ここでは最後にリベット(力がかかり切れやすいところを補強する鋲)打ちを体験することができる。用意された専用の機械で、厚手の生地にリベットを打つ。藍染もそうだったが、自分の手を動かすことで敬意が溢れ、愛着と価値が増していく。
「あとは…お任せしました!」
ディテールの最終確認をし、お礼を伝えここでお別れとなる。ここで引き渡しではない。Project BoleeGaのジーンズは最後、滞在先にお持ちいただけるのだ。代表の橘さんによれば、サプライズをご用意してくださっているとのこと。今夜は眠れそうにない。保命酒を多めに飲もうと思った。
Project BoleeGa代表の橘さんが経営するインド料理専門店。1996年に創業して以来、美味しいものを作る事を追求し続けており、原材料も天然素材使用をモットーに掲げ厳選したものだけを使用しています。 30種類以上のカレー、20種類以上のナンをはじめ本格的なインド料理でみなさまのお越しをお待ちしております。
https://www.indianrestaurant-annapurna.com/ついに5日目の朝を迎えた。鞆の浦の空同様、僕の気持ちも晴れ渡っていた。高く舞うトンビの鳴き声もお祝いに聞こえてくる。
「大変お待たせいたしました」橘さんが桐の箱を携えて来てくれた。橘さんのお顔も晴れやかだ。
2人して向かい合い、真ん中に桐の箱。「この箱は曙工芸さんのもので、真田紐は藤井リボン工業さんのものです」どちらも福山の企業とのことで、最後の最後まで徹底したこだわり。鎧兜や骨董品を保管する箱にも使われる真田紐を丁寧にほどき、両手で箱を開ける。すると…
まだジーンズは出てこない。やわらかい綿布で包まれていた。橘さんの演出に、ニヤリとしてしまう。「これは…?」綿布の上に金襴でできた折り鶴が置かれていた。「生涯保証書を金襴の折り鶴に仕立てています。そして、鶴は広島の象徴でもあります」聞けば、この鶴は備後の一宮吉備津神社で御祈祷されたものらしい。ご縁が長く続きますように、と。Project BoleeGaのデニム製造の全ての工程から、こんな演出に至るまで、20km圏内の狭小地にすべての職人が集まっている。
そんな、他のどこにもない土地からの生涯保証。いつでもメンテナンスに対応し、継承時のリメイク相談までしてくださるのだという。篠原テキスタイルの篠原さんの話を思い出した。100年以上を誇る伝統の技の結晶とも言える一生の相棒は、それこそ100年先、三世代先までも繋げることができるのだ。
その命を吹き込まれたジーンズが今手の中にある。福山で出会った職人さんの顔はもちろん、工場や作業場の音、匂いまで鮮明に思い出されてくる。一本の糸、一つのリベットの先にいる方々にもお伝えするつもりで、代表の橘さんに一言伝えた。
「ありがとうございます。BoleeGa!な、自分になります」
5日間のスペシャルな出会いと体験で手に入れた100万円のジーンズは、その実、価値などつけられないものだった。受け継がれた職人技の結晶を身にまとい思うことは、誰しもが住んでいるこの国、もっと言えばこの星の継承者だ。そこで、自分はどういう生き方をしていくか?このジーンズは、未来への意思表明だ。
潮待ちの港を眺めながら、その先にある海外に思いを馳せた。出かけられる日が来たら、必ずこの相棒と一緒に行こう。サムライたちと作り上げた瀬戸内ブルー。日本代表のユニフォームのつもりで。バトンの受け取り手として、未来に誇れる仕事をしよう。
ジーンズをまとった足元が、背筋を伸ばしてくれた。