広島スピリッツ
「酔いと覚醒の非日常」
クラフトジンとオーセンティックバーの扉を開ける二人旅。
「酔いと覚醒の非日常」
クラフトジンとオーセンティックバーの扉を開ける二人旅。
旅特集の打ち合わせ。オンラインの画面越しだが、編集長の目は確かに私を見ていた。
私は昔、お酒好きが高じてバーでアルバイトをしていた。勉強と称し種類を問わず、グラスに向き合い学んできた。しかし今はどうだ。オンとオフの境目が曖昧になったことを言い訳に、明らかに惰性で飲んでいる。
「そんな人、多いと思うんです。外食が減り、家での酒量が増えている傾向にあるみたいですし。旅に出るなら、土地を代表する磨き抜かれた一杯と、対話するように飲みたいじゃないですか」
自分ごと化した企画は、想いと重みが乗る。「自腹で行きますから!」という切札で、有給休暇を勝ち取った。蒸留所見学をメインに、聖地へ。
残るはリョウタの説得だ。パティシエの彼が首を縦に振る単語なら熟知している。『クラフト』『香り』、いける。
「広島で出会ったジン。まさにスピリッツ(魂)を感じたわ。おみやげよろしくね」編集長からのミッションも携え、“広島の魂”に出会うため私たちは広島に向かった。
スピリッツ。それは精神を指すが、お酒の世界では蒸溜酒のことを指す。高温で熱し作られることから「火の酒」とも呼ばれるため、魂や肉体に働きかけ、活力を与えるからだろう、という説もある。
両方の意味での広島の「それ」に触れにきたのだ、と私は意気込み、広島駅から電車で20分の廿日市駅へと移動した。廿日市駅から徒歩10分、サクラオブルワリーアンドディスティラリーが今日の目的地だ。
大きな暖簾をくぐると、ビジターセンターがある。お目当てのクラフトジン「桜尾」の他にも、限定物や焼酎、レモンを使ったお酒、地元のはちみつや加工品がずらりと並ぶ。彼氏も興味津々だ。つかみはOK。
本日の案内役である藤野さんが現れる。すらっと伸びた背筋、スマートな立ち振る舞い、まるでバーテンダーさんのようだ。まずは、暖簾にも掲げられた桜尾のロゴについて「しずくが『伝統』を、桜の花びらが『革新』を表現している」ということ教えていただいた。
中国醸造(当時は中国酒類醸造合資会社)は1918年、広島県廿日市市桜尾で産声をあげた。そして2021年3月、社名を株式会社サクラオブルワリーアンドディスティラリー(以下サクラオB&D)」に変更した。培ってきた蒸留技術とともに新たな挑戦としてジンやウイスキーの蒸留を開始し、主力となるシングルモルトウイスキーの発売を控え、今後もこの桜尾の地で商品づくりを続けるという決意を込めての社名変更だという。
そして、創業から100年の節目である2018年に洋酒づくりの新たな可能性へ挑戦するため設立されたのが、この広島発のクラフト蒸留所、「SAKURAO DISTILLERY」だそうだ。 移動しながら藤野さんに歴史を教わる。マットブラックの建物には、先ほどの「伝統と革新」のロゴと「SAKURAO」の大きな文字。それはまるでこの土地の表札のようで、地域の人の誇りとなっているのだろうと思った。
ダルマ焼酎のレトロなロゴが見守る敷地内を進むと、現役引退した蒸留器や、昔、運搬に使っていた甕(かめ)などが随所にみられた。歴史を重んじていることがよく分かる。この蒸留所では、モルトウイスキーとグレーンウイスキー、ジンの製造工程を見学することができる。広島県産にこだわった原料や特注の蒸留器、イギリス伝統の蒸留方法…。さあ、いよいよ蒸留所見学の始まりだ。
蒸留所は4つのゾーンに分かれており、藤野さんが丁寧に案内をしてくださる。まずZONE1。ガイダンスルームに入った途端、ガラスの中に美しく輝く蒸留器に目を奪われる。展示物かと思えば、立派に稼働している。
桜尾ジンはロンドンドライジンなど世界中のジンを集め、香気成分などを分析研究し、誕生までに費やした歳月はなんと2年以上だそう。
独特のいい香りが鼻をくすぐる。ここではレモンをはじめとした柑橘類、牡蠣殻やヒノキ、桜など広島県産のボタニカルを触って、嗅ぐことができる。柑橘類に加え、牡蠣殻があるところが広島らしい。ソルティーさが加わるのだという。
「お茶、ですか?」ボタニカル、というイメージからは想像がつかない素材。ショーケースから手に取り藤野さんに尋ねる。
「はい。広島の世羅というところのお茶です。広島の歴史ある良いものを、ジンを通して知ってほしいんです」
聞けば、ジンには欠かすことのできないジュニパーベリーやアクセントを与えるクロモジもそう。林業技術センターなどと取り組んで、新しい産業の糸口を模索しているそうだ。広島産へのこだわりを聞くと、輝く蒸留器が、広島への恩返しをお酒にして送る「恩送り」の装置に見えてくる。10分程度の紹介ムービーが、さらに気分を高めてくれる。
続けてZONE2、3。グレーンウイスキーの製造エリア、原酒を樽詰めする場所などを経て、ZONE4のウイスキーを熟成させている貯蔵庫へ。暗闇の中、薄灯とローソク、そして土地の空気が4000近い樽を見守っている。
熟成の間に樽から揮発していくものを「天使のわけまえ」という、と聞いたことがある。樽の呼吸、気圧の関係で、土地の空気になっていく、と。なんて粋な言い回しをするものだと思ったが、実際にその場に来てみると、天使のひそひそ声が聞こえてくるかのようだった。
そのことを藤野さんに伝えると「天使がストローで飲んでるオブジェ、つけようか本気で考えたんですよね…」と言っていた。こんな贅沢なものをストローで!!なれるものなら桜尾の天使になりたいと本気で思った。
桜尾ジンは、ベースとなるスピリッツにボタニカル(香りのもととなるハーブ・スパイス、果皮など)を浸して蒸留するスティーピング方式と、蒸留経路にバスケットを設け、これにボタニカルを入れアルコールの蒸気が通過する際に香味を抽出するヴェイパー方式を同時におこなうハイブリッド方式で製造されています。荘厳なドイツ製の蒸留器は、お酒好きでもそうでなくても一見の価値あり!
揮発したお酒も含まれているであろう桜尾の空気をいっぱいに浴びて、ビジターセンターに戻ってきた。さて何を買って帰ろうかと財布を握り締めながら。そして、何を試飲させていただこうか、と。
今回は、三種類のジンを試飲させてもらった。
柑橘の香りと伝統的なジンの風味が融合した「ORIGINAL」。
17種類すべてのボタニカルを広島産にこだわり、創業の地の象徴である桜香のアクセントが印象的な「LIMITED」。
そして知られざる“ボタニカルの聖地”、宮島に育つハマゴウを取り入れたハーバルな香りと、フローラルな香りが際立つ「HAMAGOU」だ。
サクラオB&Dは、お茶農家さんや林業支援に加え、近くに位置する宮島では社員さんたちが、広島大学、地元小中学と連携して清掃活動も行なっているそうだ。土地に根ざした、とはこういうことをいうのだろう。それぞれのジンの香りが一層際立って感じられた。バーテンダーさんに使ってもらいやすいよう、味はもちろんのこと、指をひっかけてジンを注ぎやすいように瓶の周りに凹凸を作ったという開発裏話も、もともとバーで働いていた私の喉と胸をさらに熱くした。
「今日はお酒の話ができて、ほんっとうに嬉しかったです…!」最後に藤野さんが言う。もちろん乾杯はできないけれど、杯を酌み交わすように、気持ちを通い合わせることができたと勝手に思っている。こちらこそ、と深々頭をさげお礼を告げる。
さらにお酒に詳しい人が来たら、互いにもっといいんだろうな。でも、そうでなくても十二分に楽しかった。広島を好きになった。市内に戻る旨を伝えると、とびきりのバーの情報を下さった。この桜尾ジンの開発にともに携わり、アンバサダーも務める日本トップクラスのバーテンダーさんがいるお店だ。
お礼を形にして、と言うのはおこがましいけれど、たくさん買い物をした。まずは桜尾ジンのミニボトル、編集部の先輩たちに大盤振る舞いだ。そして自分用にはLIMITEDを。飲んでいる時、いつも天使が頭の上にいる(あれはウイスキーの貯蔵庫だけど)、そう思うと、なんだか柔らかな羽が生えたような気持ちになれそうだから。
ビジターセンターでは、焼酎やリキュールなど、さまざまなお酒を購入いただけますが、おみやげにもぴったりなのが、桜尾ジンとシェイカーのセット。「ジンって、こんなに自由なんだ」と言うメッセージを掲げ、さまざまなシーンに合うジンの愉しみ方を提案してくれています。オリジナルレシピも公開されており、瀬戸内レモンと大葉のスマッシュはレモンと大葉の色合いが涼しげな1杯。野菜ジュースやチョコレートシロップとの組み合わせなどもあるので、ぜひサイトで確認してみて!
https://www.sakuraobd.co.jp/shop/
広島市内に戻り、路面電車に乗って藤野さんおすすめのバーに向かう。
紙屋町東という駅で降りて少し歩く。日本トップクラスのバーテンダーさんのいるお店なんて緊張するけど、大丈夫。勇気のランプは試飲したスピリッツのおかげでしっかり灯っている。
ビルの入り口でインターフォンを鳴らす。バーなのに暖簾?期待、という言葉では足りない感情が込み上げてくる。2階へ上がると桜尾のボトルをずらりと並べて作られた(!)みるからに重厚な扉。圧倒されるが「いらっしゃいませ」の一声で我に返る。異空間への扉、というが比喩ではなくそのものだった。絨毯を踏みしめ先に進む、棚には数々のコンペティションの賞状や盾が並ぶ。
そこに、一点の汚れもない白いジャケットを纏った、背の高い男性がいた。The Bar Top Note オーナーの野間さんだ。洗練された、非日常的な世界観。それなのに安らぐ感じ…。これが、オーセンティックバー、と言うものなのか。
カウンター席に案内される。桜尾ジンの噂を聞きつけ広島に来たこと、サクラオB&Dに行ってこのバーを紹介してもらったこと…。自然に上がった口角で一言一言をしっかり聞いてくれる。その安心感につい、聞かれていないことまで言葉が滑り出てしまう。
オーダーをしていなかったことに気づく。いや、野間さんにとっては今まで聞いてくれた話もオーダーの一部だったのかもしれない。低く、優しい声で
「せっかくなので、桜尾を使ったものをお作りしましょう」
と微笑んでくれた。
この状況になって、久しくステージ、というものに触れていなかった。コンサート、ライブ…。それが今、目の前にある。
輝くメジャーカップとシェイカーがそれぞれの役割の場所に、優雅な所作で配置される。霜のついた桜尾ジンのボトルが、二種類取り出される。演者が登場したような瞬間に息を呑む。そこから先は緩急ある動きに見惚れていた。道具の金属音、液体が注がれる音、氷とグラスの触れる音…まとめて一つの音楽のようだった。
野間さんのスマートな手のひらの中にシェイカーがセットされる。シェイクが始まる。ずっと聞いていたいような心地よいリズムが響く。最後、グラスに祈りを捧げるように、ピタリと止まった。
「こちら…桜尾ジンを使ったジントニックと、ホワイトレディでございます」
総監督の渋い声を合図に、カクテルにスポットライトが当たる。ライトを探し思わず天井を見上げる。天井に配置された鏡に、違った顔の自分が映っている。
このTop Noteでしか飲めない桜尾ジンを使ったジントニックは、リョウタに。透明な四角柱の氷は面が取られ、まるで彫刻のようにグラスの中で輝いている。ライムではなく広島のレモンを使い、果皮のビター感が残るように。私にはHAMAGOUを使ったフルーティで華やかなショートカクテル、ホワイトレディ。
口にすると、幸福感が一気に全身に押し寄せた。酔う、と言うよりは覚醒する感覚。「五感を満たす本物志向のオーセンティックバー」と掲げる意味を理解した。出会ったことのない感覚に、五感が驚き、和らぐ。ほどけながら、昂る。
店名に込められた思いを聞いた。
トップノートとは、最初に立ちのぼる香りのこと。お酒はもちろん、香水などでも使われる。
「お酒で、最初に感じるのは香りです。つまり、五感の入り口ですよね」「加えて、バー文化の入り口にもなりたい。そう思って付けたんです」
ジントニックも、ホワイトレディも、スタンダードなカクテルだ。
きっと、若く、こういった場に慣れていない私たちに、伝統と革新のジンを通して「スタンダードを知ることの大切さ」を優しく示し、入り口を開いてくれているのだと思った。ありがとうございます、の気持ちを込めて、目を閉じ改めて香りを味わう。
野間さんは、バーテンダーとして国内外問わず数々のカクテルコンペティションに参加し、多数の受賞経験をお持ちだ。他にも紅茶の専門店を手がけられたり、広島県の観光プロモーターを務めたりと、活躍は多岐にわたる。
「全て、広島と広島のバー文化発展のためなんです」
そのために、バーテンダーの可能性を広げているだけです、と一切偉ぶることなく、静かに、熱く続ける。海も山も川もある、生まれ育った大好きな「程よい」広島が盛り上がること。バー文化が根付くこと。そして日本中から、世界中から人が来ること…。
そのためには憧れられる職業として、なりたい人を増やす必要がある。だから、伝えたい。知ってほしい。喜んでほしい。
「一生かけてできる、勉強し続けることができる仕事です」
そういって、野間さんはカウンター越しに、たくさんのことを教えてくださった。桜尾のボトルが並んだ重厚な扉の話をすると「扉が重いのは、落ち着いていただく空間として、守られている必要があるからです」と。加えて「そこに一歩踏み出す時、自分の中で成長を感じ、勇気を持つことができるのではないでしょうか」と。桜尾とTop Noteのおかげで、一生かけてしたい勉強の入り口に立つことができた気がした。
バーテンダーとして、数々のカクテルコンペティションでの受賞歴をはじめ、セミナー講師やアンバサダー、地元観光プロモーターとしても精力的に活動する野間さん。その経験を紅茶の世界でも生かして、新たな視点から紅茶の魅力をクローズアップしTeatender(紅茶マイスター×バーテンダー)として紅茶専科 紅一門 ~ BENI ICHI MONも手がけられています。紅茶好きはもちろん、ノンアルコールの方へのおみやげなどにもおすすめ!
https://www.beni-ichi-mon.com/
「僕が今こうして作っているウィスキーが世の中に出て行くとき、あるいはもう僕はこの世にはいないかもしれない。しかしそれは、僕が造ったものなんだ。そういうのって素敵なことだと思わないか?」
歩きながら、ウイスキー造りと言うロマンチックな仕事を扱った旅行記の一説と、今日の出来事を思い出していた。
サクラオB&Dさんも、野間さんも。その信念は、未来を見据えたものだった。子供たちや、その先の世界を見ている。
「何かいいことがあったときに、帰ってこられる場所であってほしい」野間さんは言っていた。
お互いにいい仕事して、また来ようね。静かに強く、リョウタも頷く。広島スピリッツが、私たちに火を灯した。
”お叱りは私どもへ、よい噂はお友達に…”
TOP NOTEのメニューにあった小粋な一言。良い噂は先輩に、だ。
「勉強したければ、バーにいけ、ですよ」 帰ったら、“勉強熱心”な編集長にも教えてあげよう。