三次で美術館めぐり

「月ともののけの非日常」
ある夫婦の夢を訪ねる女子旅。

刺繍作家のユキ(32)には、画家の彼がいる。最近将来について悩んでいた時、教室の生徒から「ふたりの夢だった美術館」を建てた夫婦の話を聞いた。互いに切礎琢磨しながら刺激を受け合い、新たな表現を築いていったという、ふたりの夢の場所。これは何か決断のきっかけになるかもしれないと、美術館のある広島県北部の三次市(みよしし)へ行ってみることにした。

ふたり分の夢に会いに。

「三次のワイナリーと観光農園、よかったですよ。そのワイナリーのね、斜め向かいにあるんですよ」。

刺繍教室の生徒さんが、微笑みながら話す。「美術館を建てることが二人の夢だった、って素敵ですよねえ。そこから旦那さんの主なモチーフでもある月が、日本一綺麗に見えるだなんて」。そう続けて、うっとりとため息をついた。

年上の彼女には、刺繍以外のことを色々と教えてもらっている。今日も、画家の彼との将来のことを相談をしたら、この前家族旅行で行った広島県の三次市にある、美術館の話をしてくれた。「ユキ先生、行ってみたら?どうしたいのかを二人で確かめに」。

なるほど。美術・芸術で共通する私たちだ、ぜひ一緒に行ってみたい。しかし、彼は制作の真っ最中だ。

すると、それを隣で聞いていたヤヨイさんが、ニヤニヤしながら手を上げた。ヤヨイさんは、好奇心旺盛なイラストレーターで、うちの生徒さんだ。
「日本で唯一の!とか、いいですよね。唯一の夫婦の美術館。いいな。あ、日本初!の妖怪ミュージアムっていうのもありますよ。両方とも、ある意味日本一…。行きましょう。私、運転もできますし!」そうして、半ばヤヨイさんの口車に乗せられる形で、広島の三次に向かうことになった。

月に手を伸ばせ。

丸い屋根が大きく迫り出した広島駅新幹線口に、女子二人で降り立つ。
「私、運転も得意なんですよ」。ヤヨイさんが手際よく手配してくれたレンタカーで、広島駅から三次市へと向かう。広島駅からは1時間30分ほど。中国地方のほぼ中央にある三次市は、3つの川が合流する自然豊かな里山の地で、お米や地酒・ワイン、野菜、果物なども美味しいらしい。特産品である三次市のピオーネは、その品質の高さから、「黒い真珠」や「瞳の輝き」と称されている。

1時間ちょっと運転をしたので、途中にあるパーキングエリアでひと休み入れる。「すっかり『山』の匂いだ!あと一息ですね」。運転手のヤヨイさんがガソリン代わりに、胸いっぱいの空気を吸いこみ、リフレッシュをする。あと30分ほどすれば、一つ目の目的地「奥田元宋(げんそう)・小由女(さゆめ)美術館」だ。

奥田元宋・小由女美術館は、日本画家・奥田元宋と人形作家・奥田小由女が長年の夢として心に抱いた「ふたりの美術館」で、日本でも例を見ない夫妻の名を冠した美術館だ。日本画の「平面」と人形の「立体」という異なる芸術様式の共鳴、そして三次市の自然と芸術との共鳴を目指し、美術・芸術文化の振興拠点としての役割を担っている、という。

そのコンセプトもさることながら、2005年に建設された建物自体も魅力的なものらしく、奥田元宋作品の重要なモチーフである“月”にちなんで、実際の月を美しく見せるためのロビー設計がされているのだそうだ。

「あ、あれだね。見えてきた!」
助手席からヤヨイさんに基本情報を伝えている間に到着。駐車場に車を停めて、エントランスから美術館の建造美を味わう。「ここが、2人の思いのこもった美術館か…」。 印象的なアーチ状の屋根に温かみを感じる。⼊⼝横では、シンボルツリーのいろはもみじがお出迎えをしてくれた。紅葉の盛りには、元宋の世界観を表現する上で重要な役割を担うとされる⾊『元宋の⾚』を彷彿とさせるらしい。

※作品は特別に許可を得て撮影しています。また、展示の作品は入れ替わることがあります。

ロビーに入るなり、息を呑んだ。正面に設けられた一面の水盤。広く開けた空が見え、それを映すように水が穏やかに湛えられている。「これがあの…」。奥田元宋作品の重要なモチーフである“月”。その月を美しく見せるため設計。満月の夜には開館時間が延長され、ここから三次市内の長土手という場所で描いた代表作品「待月」が再現された景観を楽しむことができるそうだ。

満月の夜の想像にしばし浸ったのち、まずは奥田元宋の作品が展示してある元宋展示室へ。ここでは、日展出品作である風景画の大作やスケッチなどを中心に、展示された作品を鑑賞していく。

大きな窓が、自然を切り取っている部屋には、元宋が生前用いた岩絵具や画筆などの道具類に加え、印や書に用いた道具などが並んでいた。息遣いを感じながら、ふたりが愛したであろう三次の自然を眺め、大作と向き合う心の準備をした。

※作品は特別に許可を得て撮影しています。また、展示の作品は入れ替わることがあります。

同じ月を見ている。

そしてついに、元宋展示室3へ。2つの代表作《紅嶺(こうれい)》と《白嶂(はくしょう) 》 の前へ導かれるように歩みを進める。

対となる赤と白。両方とも幅は6mほどもある。まずは《紅嶺》。ほぼ赤と黒だけで表現された、厳しくも静謐な世界。月と太陽を想起させる光に時の流れを感じる中、一歩も動けなくなった。隣には、月の光に照らしだされた断崖絶壁の山を描いた《白嶂》。迫りくるような山の迫力に圧倒されつつも、静謐な水面に映った月の明かりの凜とした美しさに引き込まれた。

奥田元宋は69歳の時に患った大病の影響で、以降、積極的に大作を手掛けるようになったそうだ。「大作に取り組むのも八十歳までが限度」と思っていた時期に次々と描かれた大作群の中で、特に知られる絵画がこの2つだという。
私もその世界の住人として、どれだけのものを作っていけるのだろうか。そして、これだけ人の心を揺さぶるものを、いつか作ることはできるだろうか。そう自問する私を、二つの月が優しく静かに見守ってくれているようだった。

続いては、奥田小由女の作品が展示してある小由女展示室へ。
初期の頃は白を基調とした抽象的な造型作品で注目を集め、結婚前後から色彩豊かな女性像へ変化していったそうだ。それらの柔らかさ、優美さに見惚れながらゆっくりと進んでいく。

そして、元宋との別れに際しての思いを形にした大作《月の別れ》の前へ。「月に吸い寄せられるように逝った奥田にさしのべる手が、制作しているうちに二つでは足りないような気がして、いつの間にかたくさんの腕になってしまった」という6本の腕。全体的に淡い色調でまとめられている中、悲しみを表現する濃い紅の唇。
深い悲しみを感じながら、何とか形に残そうと決心して生みだされた作品を前に思う。愛する人との別れを、受け止めることはできるだろうか。さらにはそれを、昇華させることなんて…。きっと月を見るたびに、二人の作品を思い出すことだろう。

作品鑑賞を終え、ミュージアムショップでお土産を購入する。図録はもちろん、一筆箋やお香といった小物も充実している。人気はクリアファイルやポストカードだそうだ。この場所を教えてくれた生徒さんにも、お土産を買っていこう。「作る人が増えたらいいな」。なんだかそんな気持ちになって、彼女の娘さんたちには画材を買っていくことにした。

美術館を後にして、館外にある遊歩道「こもれびの小道」を歩く。もう少し余韻に浸っていたいという、静かな興奮を連れて。木々に囲まれた静かな小道に、自ずと歩調もゆっくりになり、視線は上を向く。二人の展示に感受性が洗われたようで、自然の色彩が一つ一つ、鮮やかに感じられた。丁寧にウッドチップ舗装された道を奥へ進むと、元宋の歌碑が設置されていた。

「彩れる 秋うつさむと 山峡に 木葉しぐれの 音をきき居り」。

二人で声に出して読んでみる。木々の音だけでなく、自分たちの心が発する音にも、しばし耳を澄ませた。

POINT!

洋食工房

奥田元宋・小由女美術館の館内レストラン。美術鑑賞の後のひとときを、窓から見える季節の風景と一緒に。三次の食材をふんだんに使用した料理を提供。牛すね肉、牛ほほ肉、牛タン、 牛テールの4種のプレミアムビーフシチューが人気メニュー。

〒729-0023 三次市東酒屋町10453-6
https://www.genso-sayume.jp/about/restaurant/

味よし・ 品よし・体によし。

こもれびの小道で耳を澄ませたら、お腹の音まで聞こえてきた。顔を見合わせ笑う。「お腹空いたよね、ランチにしよう!」ヤヨイさんが事前に調べておいてくれた「トレッタみよし」に移動する。こちらは三次ワイナリーが運営している施設で、地元三次の加工品や特産品の販売所、パン工房に加えてバイキング・レストランがあるのだ。
美術館のすぐ向かいにあり、大胆に木を取り入れた屋根とスタイリッシュな黒い壁面が特徴だ。「あ、ピザ窯があるよ!」とヤヨイさんがレンガ造りの、洒落た大きな窯を指差す。

中に入ると、色とりどりの新鮮な野菜、果物に目を奪われた。素材を生かした加工品、お酒、乳製品、お菓子なども目白押しで、買い物を楽しむ多くの人で賑わっていた。「どれも料理しがいがありそう!」高級スーパーにも負けないような品揃えを前に、料理も得意なヤヨイさんが興奮気味に話す。空腹であることも相まって、どれもこれも連れて帰りたくなってしまう。

販売コーナーを過ぎると、バイキング・レストランがあった。こちらは三次の新鮮な野菜や果物をメインに使った、体にも優しい手作りのおいしさを満喫できるそうだ。「午後の相手は妖怪たちだから、しっかり食べないとね!」戦う訳でもないのに意気込むヤヨイさんを見てつい笑ってしまう。けれども、それくらいしっかり食べたくなる料理が30種類以上、目の前に広がっていた。

人気はおからヨーグルトサラダ。使われているのは市内の人気豆腐店のもので、店内でも買えるそうだ。また、赤ワイン入りのコンポートやワイナリーオリジナルぶどうゼリーなど、ワイナリーの運営ならではの魅力を感じるものもある。「鮎だしのパスタだって!」川に恵まれた三次らしい。どれも、見た目と香りでおいしさが伝わってくる。「いただきます!」「ん〜、優しい味が染みるね〜」食べてみると、どれも心がホッとする味付けで、ふたりの夢に心を温めた後は、お腹までしっかりと温めることができた。そしてトレッタみよしを後にした。

次の目的地、もののけミュージアムまでは車で約15分だ。少し時間があったのと、天気が良かったこともあって、途中にある西城川の川辺に車を止めて散歩をした。奥田夫妻だけでなく、妖怪たちまで惹きつけた(?)三次の自然の中、深呼吸をした。

もののけに会いに。

車で住宅街を進んでいくと、看板が見えてきた。黒い瓦がピカピカと光る、大きな屋敷のような建物。「三次もののけミュージアムだ!」お化け屋敷のようなイメージを持っていたが、そんな怪しさは一切なかった。

正式名称は「湯本豪一(ゆもとこういち)記念日本妖怪博物館(三次もののけミュージアム)」。ここでは民俗学者で妖怪研究家の湯本豪一氏が生涯をかけて集めてきた、約5000点にものぼる日本最大級のコレクションがテーマにあわせて展示され、鑑賞することができる。

立派な門構えの入り口をくぐると、大きな庭が広がっていた。「なにこれ、ゆるいね」。ゆるキャラのようなユニークな表情の妖怪や、昔ながらの妖怪、さまざまな「もののけ」たちのパネルの出迎えを受け、エントランスへ入る。

POINT!

もののけダイニング

もののけミュージアム併設のレストラン。県北の素材を使ったランチを始め、軽食やテイクアウトも行っています。1番人気のミックスフライ定食は、大きなエビフライが食べ応え抜群!濃厚なタルタルソースをつけてお召し上がりください。三次市内にある「重森養蜂場」とコラボレーションしたはちみつソフトも大人気!国産純粋100%のはちみつは、濃厚なソフトクリームと相性抜群です。
※1歳未満の乳児には、はちみつ及びはちみつを含む食品を与えないようご注意ください。

「いざ、もののけの世界へ!」黒い自動扉から入ると、薄暗い展示室内の壁に猫又が映し出されていた。そもそも妖怪とは、人知を超えた自然現象に対する畏怖や、人間の心の不安から生み出されてきたものだという。ここでは絵画や書籍、日用品、玩具など妖怪が人々の生活に密接に関わってきた様子が紹介されている。

「あ!さっきのあの子だ!」ゆるいね、と言っていたキャラクターがたくさん書かれた、肉筆の絵入り本があった。『人面草紙』という本で、顔は下ぶくれ、簡単な線だけで書かれた自由気ままなで滑稽な「人面」は、独特の愛らしさがある。

「日本一は伊達じゃないね…」。デジタル絵巻や映写された動く妖怪から始まり、立体のもののけ模型にミイラや骨格、文献、錦絵、玩具など様々な形で今日まで語り継がれてきたもののけたち。圧巻のコレクションに創作意欲をたっぷりと刺激してもらうことができた。

続いては、三次市三次町が舞台となった「稲生物怪録(いのうもののけろく) 」の鑑賞へ。
稲生物怪録とは、江戸時代中期の三次を舞台とした、稲生平太郎と人間をおどかしにやってきた妖怪たちとの不思議な体験を綴った物語だ。
物語には多くの怪しげな妖怪が現れるだけではなく、現在も存在する場所や、主人公の平太郎をはじめ当時の三次に実在した人物が登場している。いつ、誰が作成したものか、最初はどのようなタイトルだったかなど、いまだ明確にはなっていない謎の多い作品である、とのことで、ここでは本や絵巻を中心に、歴史背景、日本各地に伝播し続ける物語の魅力が紹介されている。

「すごいね…!」6〜7mはある絵巻物のインパクトに感嘆の声を上げてしまう。「1ヶ月間、さまざまな怪しげな妖怪によっておどかし続けられますが、最後までそのおどかしに耐え抜きとおした…。ってすごいよね!」とても丁寧に書かれた、どこか可愛らしい妖怪たちを見て微笑んだ。
同時に、作者の気持ちになってみる。どういうモチベーションで、どんな熱量で書いたのか…。今だに形を変えながら語り継がれる作品を前に、一人のクリエイターとして、尊敬の念が溢れ出た。

お次は、チームラボ 妖怪遊園地の「お絵かき妖怪とピープル」だ。
これは体験型のインタラクティブな作品で、妖怪の輪郭が書いてある紙に⾃由にクレヨンで描いてスキャンすると、⾃分の描いた妖怪に命が吹き込まれ、⽬の前の草原で動き出すのだ。

特別な展示室の中に足を踏み入れるとポップな音楽が流れる中で、たくさんのカラフルな妖怪が、楽しそうに飛んだり跳ねたりしていた。妖怪は、人面、河童、天狗などから選べるので、私は入口から心を掴んで離さない「人面」をチョイス。ヤヨイさんは「河童」を選んだ。

さっきの人面草紙を思い出しながら、自由気ままに色を塗る。やっぱり手を動かすのは楽しい。命を吹き込む作業にあたるスキャンをしたら、私たちの妖怪も、広場の妖怪たちに仲間入りをした。体からお団子を振りまいたり、頭のお皿から水を飛び散らせたり。奔放な妖怪たちを見ていたら、色々な悩み事がなんだか馬鹿馬鹿しく思えてきた。

「あ、アマビエ!」2020年、疫病退散のうたい文句と共に拡散された予言獣が現れた。
予言獣は江戸時代以降、日本のあちこちに現れ、作物の豊凶や疫病の流行などを予言したとされるもので、“自分の姿を拝めば難を避けられる”と除災の方法も授けたといわれる。今も様々なところで私たちに寄り添ってくれているその存在に「ありがとうございます」と小さく口にして伝えた。

好きに、素直に。

鑑賞後は、ミュージアムショップでお買い物だ。ピアスにイヤリング、バッジ、豆皿やペーパーパズルなど、様々な妖怪をあしらったものが並んでいる。特に手ぬぐいが人気らしい。私はやっぱり人面草紙のグッズに惹かれてしまった。あのゆるい表情と生き方。帰ったら早速、身の回りの小物に刺繍してみよう。

ミュージアムを出て、お互いに記念撮影をする。猫又とニャンニャンしたり、顔出しパネルで妖怪と並んで、別れを惜しんだり。アマビコとも3人で。色々なことが落ち着くことを祈りながら。

「妖怪というテーマだけで、これだけ集めるって、本当にすごいよね。改めて、私も何か極めたくなったわ!」すっかり満足したヤヨイさんが意気込む。ヤヨイさんの、これからの創作活動が楽しみだ。

三次の二つの美術館に来てみて思う。「好き」の力は偉大だ、と。
これからも、自分の「好き」に素直に生きよう。奥田夫妻のように支え合い、刺激しあえる二人を目指そう。彼と同じ方向から、同じものを見てみよう。それができたらまた三次に、月を見に来てみよう。きっと色々困難はあるだろうけれど、人面草紙を見習って、ゆるくいこう。

ガラスに映った顔を見ると、人面草紙のように微笑んでいる自分がいた。

POINT!

もちのえき

三次市出身の建築家、谷尻誠がプロデュースする餅屋。三次もののけミュージアムと三次町歴みち石畳通り(上市栄通り)を結ぶ、通り抜け通路「もののけ小路」にあります。合言葉は、”もちからまちを盛り上げる”。三次の素材を使用したみたらしだんご「みよしだんご」をはじめ、広島産の玄米を使用したおはぎも人気です。

〒728-0021 広島県三次市三次町1582
https://mochinoeki.com/

ツアーの詳細 / お問い合わせ先

問い合わせ先
公益財団法人 奥田元宋・小由女美術館
住所
〒728-0023 広島県三次市東酒屋町10453番地6
TEL
0824-65-0010
営業時間
9:30~17:00 (入館は閉館時間の30分前まで)
定休日
毎週水曜日・年末年始
事前予約
不要
対象年齢
なし
問い合わせ先
湯本豪一記念日本妖怪博物館(三次もののけミュージアム)
住所
〒728-0021 広島県三次市三次町1691番地4
TEL
0824-69-0111
営業時間
9:30~17:00(16:30 最終入館)
定休日
原則毎週水曜日(休日の場合はその翌日)、年末年始(12/29~1/3)
事前予約
不要
対象年齢
なし

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