美術館ナイトツアー
in ひろしま美術館
「夜、開かれる非日常」
薄暗い美術館で、心が動いたママ友旅。
「夜、開かれる非日常」
薄暗い美術館で、心が動いたママ友旅。
「昔の同級生と、記念の旅に出るのはいいもんよ」50歳の記念に、瀬戸内海の島にあるホテルに女性二人で行ってきたパワフルなトレーナーさんは言う。
せっかく二人なら、家族では行かないようなところがいい。マキに相談して決めようと思った。
「広島、いいじゃない」ジムでの話をすると乗り気だった。市内なら福岡から1時間だし、移動してお茶を飲んで、散歩しておしゃべり。それだけでいい。
「とはいえ、テーマが欲しいね」 マキは、昔から仲間内のサプライズを考えることが得意だった。
「アート、はどうかな」 絵、といえば読み聞かせの絵本くらいしか触れていないのに?
「ゴッホに会いに行こう」 会いに?観に、じゃなくて? そこは気になったけれど、マキを信じて、ゴッホに会いに広島へ行くことになった。
テーマはアートと、のんびりおしゃべり。
それだけ決めてからは、マキが具体的なプランを考えてくれた。
「ゴッホに会う前にさ」広島駅に着くなりマキがニヤニヤと言う。
「中国に寄って行こう」コンビニに寄るくらいの気軽さで言う。
このニヤニヤは、彼女が企んでいるときの癖だ。「で、どこいくの?」と聞いてみる。
「中国のね、世界的な景勝地『西湖』をイメージして作られたと言われる庭園があるの。山と川、都、深ーい風情?そんなものを庭の中にぎゅっ!と”凝縮していることから『縮景園』ていうんだって。園の真ん中の池には島が浮かんで、渓谷、橋、茶室を回遊しながら楽しむことができるらしいの」
園の説明を、子供にするように丁寧にしてくれる。「ゆとりを持ちつつ、盛りだくさんで、歩いておしゃべり。いいでしょ?」
急ぐ旅でもないので歩いて。広島駅から徒歩10分もかからない。
さすが、2020年には築庭400年を迎えたという大名庭園。立派な門構えだ。
原爆の爆風にも耐えたという跨虹橋(ここうきょう)を歩き、広島の富士山と言われる迎暉峰(げいきほう)から園内を見渡す。瀬戸の多島美を思わせる濯纓池(たくえいち)で「亀島」・「鶴島」に長寿と家族の無事を願い、鯉を眺める。豊かな自然との調和が醸し出す静けさの中、風情に身を任せ、ガールズトークは続く。
園内を、子供と同じくらいの歳の子が走っている。つい二人して目で追ってしまう。来たばかりだけど、顔が見たいなと思った。広島という土地の力もあるだろう。普段意識できていない「平和」という単語を意識する。子供たちが笑顔で過ごせますように。と。
水の都を水上から楽しめるタクシーが広島にはあります。その名は「雁木タクシー」。タクシーといっても、リバークルーズを楽しめる水上タクシーです。雁木、とは海や川にせり出すように作られた階段上の船着場。基本的に雁木があるところであれば、どこからでも乗り降りのリクエストが可能です。今回紹介している縮景園を絡めたコースもありますし、広島に精通した船長と一緒にプランを考えるのもオススメ。ぜひ問い合わせをしてみて!
http://www.gangi.jp/
「ゴッホに会えるのは夜だから」
夜行性?それともおばけ?マキのリサーチなので、不安よりも期待が上回る。
それまでは女子高生の頃のように広島市内を堪能することにした。修学旅行生とそれほど変わらないであろうコースは30歳になっても楽しいものだった。市内を走る路面電車が夕焼けに染まるころ、本日の目的地ひろしま美術館に向かう。
「ひろしまナイトミュージアムと言ってね。普通の美術鑑賞じゃないらしいのよ」
到着する。大きくはないが、荘厳な佇まいの建物。しかし、どこか優しさ、あたたかさを感じる。マロニエの木の前に池があり、広島のシンボルと言える錦鯉が泳いでいる。後から聞いた話だけれど、この木はピカソの息子から贈られたものらしい。
ひろしま美術館は、1978年11月に開館した。原爆投下から30数年、復興の道を歩む中で強く求められていたのは、心の喜びとやすらぎの場。この美術館は、“愛とやすらぎのために”をテーマに誕生し平和への願いがこめられているのだと言う。感じた深い優しさやあたたかさは、そこだったのだろうか。
「ありがたい、ね」
そして、ひろしまナイトミュージアムが始まる。ウェルカムドリンクの乾杯が開幕の合図だ。このような状況ではあるけれど、健康で、家族も元気で。美術館に来ることができて。当たり前が変わってしまった中に残る、当たり前に感謝を込めて。
さっきから気になっていたのだけれど、至る所に黒い猫ちゃんのシルエットがある。お店の名前の由来とその理由は、追って知ることになる。
ひろしま美術館にあるカフェ。それがcafé Jardin。「ジャルダン」とはフランス語で「庭」の意味。収蔵されている代表作、ゴッホ「ドービニーの庭」にもちなんで名付けらたそう。広島に本社を構え、全国でベーカリーを展開するアンデルセン協力のもとランチメニューを取り揃えています。特別展開催中は内容に応じた特別メニューも用意しているそうなので、展示と合わせて確認してみて!
https://www.hiroshima-museum.jp/cafeJardin/
カフェから出て、本館を望む中庭へと誘導される。原爆ドームをイメージした丸いドーム型の屋根が暗闇に浮かんでいる。すると、そちらの方からランプを右手に、パイプを左手に持った男が、ゆっくりと歩いてくる。包帯で左耳を覆っている。ちなみに足はある。ので、おばけではないようだ。
「猫を見なかったかい?何って、ネ、コ、だよ。「にゃあ」と鳴く猫だ。これくらいの、黒いやつだ。ずっと探しているんだ。いつの間にかいなくなってしまった。知らないかい?」
カフェはもちろん、ミュージアムショップのグッズほか、色々なところで見ましたよ、と言おうと思ったが、包帯の男はさらに続ける。ここの住人で、名をフィンセントということ、ウタガワ・ヒロシゲは偉大で、会ったことはないが弟子であること…。
「ここは美の女神ヴィーナスが司る世界だ。美しいものばかりで埋め尽くされている。さあ、私についてきたまえ、傑作の数々を紹介しよう!」と本館の方へ振り返り、歩き出す。着いてくるよう促すように。
灯りの消えた回廊は、嚴島神社の回廊をイメージして造られたらしい。横目に見ながら展示室に誘導されると「どの作品を選ぶかは非常に迷うところだが、最初はこれにしよう。なぜなら、マネの作品だからだ。一言でいえば、すべてのはじまりはマネなのだ…」と絵の紹介をし始めた。
なるほど、ゴッホに会えたわけだ。
ひろしまナイトミュージアムとは、作家に扮したナビゲーター(劇団員)が絵の魅力を紹介するツアー体験なのだ。その後も、ゴッホ(フィンセント)・マネ(エドゥアール)・モネ(クロード)・セザンヌ(ポール)・ルノワール(オーギュスト)が登場しては、歴史を交え、アートを感じるための手引きをしてくれる。それぞれに性格があり、本当に生きていたら…?という想像を掻き立ててくれる。
包帯の男、ゴッホが「ドービニーの庭」という絵からいなくなった黒い猫を探していたことも分かった。同じタイトルの絵は世界に3枚あり、そのうち2点がほぼ同じ絵柄で、1点は今、目の前にある。猫は、後から何者かに塗りつぶされたらしい。
「絵の要として猫を描いたのだが、いない庭も悪くない。むしろ、猫を失ったことで、空想が湧き上がらないか?私の絵は無限のヴァージョンを手に入れた…!」
ゴッホが語る。すると確かに、そんな気がしてきた。
いないもの。失われたものを補うために、人には想像する力があるはずだ。少し前の生活から失われたたくさんのものを、過去にたくさんのものが失われた場所で思う。自分に言い聞かせる。だからこそ、人には想像力があるのだ、と。
最後は白く長い髭の男が登場する。右手に絵筆を包帯で括り付けている。ルノワールだ、と言う。勝利のビーナス像の前で、作品の話はもちろん、アートというものに対する姿勢の話をしてくれて、1時間弱のツアーが終わった。
今度は家族で来てみたいなと思った。3歳には分からないかもしれない、なんて思わない。今の彼なりの目と頭と心で、絵と向かい合ったらいいのだ。ルノワールが、それを教えてれた。
美術館を出る。すっかりあたりは暗くなっている。散歩の締めくくりと、まだ少しだけ体を火照らせているシャンパンを醒ますため、路面電車の駅まで歩く。
「絵を見るときだけじゃなくてさ、何か新しいものに子供たちが触れるときにさ」マキが口を開く。
「今日のゴッホたちみたく、興味を持ってもらうための工夫は、親としていろいろできそうよね」文化祭のとき、よく本気のコスプレをしては周りを楽しませていたマキを思い出して、つい笑う。
ドービニーの庭。ゴッホ最晩年の集大成、到達点と言われる一枚。私の集大成、到達点とはなんだろう?先のことは分からない。
けれどもこうして、少しでも毎日に美や工夫を取り入れることで、子供に、家族に、その先の社会に、優しい気持ちで向き合えたらいいなと思う。眠る時、いい1日だったと思える毎日を続けていけたら、それが私の集大成。それでいいだろう。まずは旦那に「一日ありがとう」と伝えよう。
今日あったこと、明日どうやって話そうか。さっそくマキの知恵を借りてみよう。子供の寝顔まで1時間ちょっと。おしゃべりは、まだ続く。