HIROSHIMAの、
過去から今を巡る
PEACE TOUR
「故郷を愛おしむ非日常」
外国からの友達と歩む、OMOTENASHI旅。
「故郷を愛おしむ非日常」
外国からの友達と歩む、OMOTENASHI旅。
「夜の美術館、とってもよかったわ。素晴らしい展示も『演劇』という要素が加わることによってより魅力が増すわね。外国のお友達にも、きっとウケるわよ」。ひろしま美術館のナイトミュージアムという企画に参加していた、お客さまの一言だった。
「『演劇』を加えた企画、街歩きにもありましたよね」。 アートとカフェという二つの好きなものに囲まれ広島で過ごしている私は大学時代、フランスに短期留学をしていた。ホームステイ先のホストファミリーには私と同世代のマリーという娘がいて、よくカフェや美術館を案内してくれていた。そのマリーがこの度、広島に来るという。
外国の人にも人気の観光地、広島。私にとっては、当たり前のように過ごしてきた街。どんな風に知ってもらえたら、マリーに喜んでもらえるだろう…?その相談をしている時だった。「演劇×街歩き」は確かにいい。
あとは、歴史も欠かせない。でも思い出に残るような学び方ができたらいいな…。あ!そういえば、ガイドさんとサイクリングしながら学べるツアーもあったはず。
そうだ!広島の街自体を、一つの展示と考えた旅はどうだろう?
覚えておくべき歴史、復興を遂げた美しい街、そして、そこに住む人々。それらを、足で巡って感じる旅。過去も今も、すべて含めてこの街の魅力だと思うから。
私は「お楽しみに!」とだけメッセージを送って、マリーの来日を待つことにした。
約束の当日。広島駅の新幹線口で待っているとマリーが来た!5年振りの再会だ。少し大人っぽくなったマリーに、フランスの空港でした時以来のハグをした。SNSのおかげで久しぶりな感じはしないが、こうして対面できるということに、強いありがたみを感じる。
再整備の工事を行っている南口の路面電車乗り場で、マリーに今日のテーマを発表した。「この街自体を、一つの展示として楽しんでもらう旅、です!」。マリーの顔が華やいだ。そして、二人で路面電車に乗り込んだ。
「まずは一緒に『平和』を学ぼう。自転車に乗って、ね」。
事前に、動きやすい格好で来てね、と伝えていたマリーが納得した。路面電車を原爆ドーム前で降りて川沿いの石畳を歩いていく。向かう先は、平和記念公園レストハウスだ。途中、石碑のメッセージに目が止まる。「地球上から核兵器廃絶」。普段は意識していなかったけれど、案内をしながらゆっくり歩くことで、見えるものがある。
今日、マリーと一緒に体験するのは「平和を学び感じるピースツアー」。電動自転車で、サイクリングしながら広島に残る被爆遺産を巡るのだ。広島在住のフレンドリーなガイドチームが、ナビゲーターとして案内してくれるのがポイントだ。
平和記念公園レストハウスで、ガイドさんと合流する。
「こんにちは!ステファンです」。今日のガイドのステファンさんだ。ステファンさんは日本人だが、留学や海外勤務の経験もある旅好きで、日本の魅力をさまざまな角度から感じてもらうために、コーディネーターやガイドをしているのだそうだ。ステファンさんのフランクな雰囲気に、マリーも一気に打ち解ける。
「素敵なデザインの建物ですね」。レストハウスについて、好奇心旺盛なマリーが早速質問をすると、以前は呉服店、戦時中は燃料会館だったということをステファンさんが教えてくれた。そのたもとにある元安橋で原爆ドームを背景に、ガイドは始まった。
1945年8月6日8時15分。原爆が落ちた当時の情報を、手元の写真資料と合わせて解説してくれる。私たちの、誰も体験したことがない話。だからこそ、こうして語り継いでいく必要があるのだろう。
このあたりは、中島町という広島で一番の繁華街だったこと。地上600mで原子爆弾がさく裂し、爆心直下は瞬間的に3,000 度から 4,000 度となり、多くの人の日常が一瞬にして失われたこと。
上空を指差し、今の建物の高さと比較しながらの説明。知識として知っている数字も、現地で、自分の目で見ながら聞くのでは理解度が違う。
より鮮やかに感じられる公園の緑を横目に、原爆死没者慰霊碑へと向かい、まず手を合わせる。中央の石室には、原爆に被爆し亡くなられた方の名前を記帳した、原爆死没者名簿が納められている。
「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」の文字が刻まれた慰霊碑から原爆ドームが見える。「平和の軸線」だ。母子の銅像、噴水、資料館、そして慰霊碑と原爆ドームが1本の軸線でつらぬかれているため、そう呼ばれている。
「原爆ドームの手前に見える台座は、手首を合わせ、手のひらを大空に広げた形を表現しているそうです」。平和の灯火を指差しながら、ステファンさんが説明をしてくれる。「あの灯火、何が起きたら消えるかご存じですか?」マリーが少し考えてから首を振る。「この世から、核が無くなったら消えるんです」。次の瞬間、慰霊碑に平和の象徴である鳩が止まった。
「平和を願うたくさんの人が集えるスペースであるように、と空中に設計されたんです」。そう指さされた資料館の下をくぐり、自転車置き場へ向かう。そこには、可愛らしい自転車が3台並んでいた。「このカバンがバッテリーになっているんですね!」可愛いものは万国共通、気分も上がる。スイッチを入れて、ステファンさんに続いて漕ぎ出していく。
川辺に自転車を走らせ、次の被爆遺産に向かう間も、ステファンさんは広島の話をしてくれた。
市内には6本の川が流れることから「水の都」と呼ばれ、約3,000もの橋があること。水辺にせり出す階段状の船着場「雁木」には、個人の家から繋がっているものもあったこと。住んでいる私でも改めて知ることが色々ある。
自転車を走らせ最初に向かったのは、 広島赤十字・原爆病院前だった。爆心地から半径約1.5km。原爆の猛烈な爆風を受けて曲がった鉄の窓枠が、被爆遺構として残されている。
平和な日常の中、それこそ博物館の展示のように突然現れる被爆遺産。もたらされた被害が熱線、爆風、火事による倒壊だけでなく、ガラスが飛び散ったことによるものであったことが、コンクリート壁を見て分かった。
「この被害をもたらしたのが人だということを、私たちは忘れてはいけません。でも、人を救おうとしたのも、また人だったんです」。
約15トンという莫大な量の医薬品などを広島に届けてくれたという、スイスのマルセル・ジュノー博士の石碑を前に、海外からも救いの手が差し伸べられたことを知った。
次に向かったのは、広島電鉄本社の路面電車基地だ。「さっき乗ってきた電車だね」。マリーが柵の向こうを指差す。
「原爆が落ちた当時も、100台以上の車両が街中で通常運行していたそうです」。広島の街を象徴する風景の一つでもあるこの路面電車、通称「広電」も、壊滅的な被害を受け、全線不通となったそうだ。「この広電、どのくらいの期間で復旧し、運行再開したと思われますか?」またしてもマリーは考え込んでしまった。「実は3日なんです。一部区間ではありますが。当時の車両が、あちらに並んでいる651、652の2両です。足の部分は当時のものがそのまま残っており、今でも街中を走っています」。
当日だけでも約5万3000人以上。年末までとなると約14万人といわれる人が犠牲となった中で、広電が走ることで何をもたらしたか?ステファンさんは続けた。
「日常が一瞬で失われ、皆が途方に暮れていたわけです。大切な人を失い、これからどうなるかも分からない。しょげて、元気もない状態の中で、音もないわけです。そんな時、路面電車のチリンチリン、ガタンゴトンという音が響き渡ると、人々が顔を上げたそうです。物理的にも、感情的にも『動き出そう』という心の動きを、人々にもたらしたそうです」。
復興の象徴として、広島の街を支えてきた被爆電車。今日見ることができた2両はもちろん、並んでいるどの車両も、強く前を見据えているように見えた。
京橋川沿いに植えられた桜の木の下をゆっくりと走り、自転車を止めたのは、御幸橋(みゆきばし)のたもとだった。ここは爆心地から半径約2.3kmで、ギリギリ延焼を免れた場所だそうだ。被爆後3時間を過ぎたこの地点を撮影した写真を眺めながら、説明を聞く。
写真を撮ったのは、中国新聞の記者、松重美人(まつしげよしと)さんという方だったこと。ただごとではない様子に川向うから取材に訪れ、凄惨な状況の中「ごめんなさい」とつぶやきながらシャッターを押したこと。 涙でピントが合わせられず、2枚しか撮れなかったこと。
警察官の派出所前に、疎開作業中だった中学生をはじめ、多くの被爆者が群がり、わずかばかりの応急治療を受けていた話。起きることのなかった赤ちゃんの話…。さまざまなエピソードを聞き、当時を想像してみる。
オバマ大統領(当時)が来日した際、平和記念公園で対面した坪井直(つぼいすなお)さんも、この写真には写っている。人生を通して核廃絶の運動に献身的に取り組んだ人で、「ネバーギブアップ」と周囲に呼びかけてきた方だ。よく使われる言葉の重みを、改めて感じた。 のどかな日中、橋を渡る人たちのなんでもない1日が、とても特別なものに思えた。
御幸橋を後に平和大通りを通って、平和記念公園に戻る。ピースツアーもいよいよラストだ。嵐の中の母子像を前にステファンさんが、被爆二世であるガイド仲間の話をしてくれた。
「ガイド仲間のおじいちゃんの話をしますね。おじいちゃんは当時、倒壊し火に囲まれる建物の中で、目の前の子供を助けられず、ずっと良心の呵責に苛まれたそうです。
そんなおじいちゃんに、ガイド仲間は聞いたそうです。相手国を憎んでいるか?と。そうしたらおじいちゃんは、別に憎んでいない、と言ったそうです。戦争は、人がすることだから、過ちもあるだろう。憎しみを持ち続けても何も変わらない、と。
その後に、ガイド仲間にこう言ったそうです。『お前に約束してほしいことがある。世界中に友達を作れ。友達がその国にいると思ったら、ひどいことはできないだろう』と」。
ステファンさんは、続けてなぜガイドをしているかを話してくれた。色々な場所に行ける日本のパスポートは、先人たちが友好関係を築いてきた証だと思うんです、と。そのおかげで世界70以上の国、たくさんの場所で僕は受け入れてもらった。だから今度は受け入れる側になりたい。それも、この場所で、と。
「もし今後、何か困難なことがあったとしても何度でもやり直せるという勇気を、持って帰ってもらえたらとても嬉しいです。今日はありがとうございました!」ステファンさんはそう言って、ツアーを締めくくった。
私は今、「平和の軸線」の上にいる。この場所で、友達と再会ができて本当によかった。「ありがとうございました!」笑顔でステファンさんにお礼を言って、再度原爆ドームの方へ、二人で向かった。
「今度は高いところから、広島の今を眺めてもらおうと思います!」
そう伝えると勘の鋭いマリーは、原爆ドームの横にある高い建物を指差して首をかしげた。正解!
自転車で市内を回ることができたので、次の行き先は屋上展望台がある「おりづるタワー」に決めていた。こちらの屋上にはウッドデッキの展望スペースがあり、平和記念公園・原爆ドームはもちろん、晴れた日には宮島の弥山(みせん)まで、2つの世界遺産を同時に望むことができるからだ。
早速エレベーターで展望台「ひろしまの丘」へ上がる。「気持ちいいね!」通り抜ける風に、私たちは、今の広島を感じることができた。こんな状況ではあるけれど、互いに無事でこうして再会ができたことの喜びを、改めて噛み締めあった。
続いて、一つ下の12階「おりづる広場」では、おりづるタワー事務局の金谷さんが案内をしてくださった。「晴れていて、宮島まで見渡せて素晴らしい景色でした」と伝えると、このおりづるタワーに込められた思いを話してくださった。
「この場所は広島マツダが運営しています。これまで支えていただいた広島の皆様に、このタワーを通じて少しでも恩返しをしたいとの思いから2016年にオープンしました。
広島の人はもちろん、県外、国外から訪れる皆さまに、広島の復興や希望そして未来など、『広島の豊かさ』を間近で感じてもらえる場所を目指しているんです」。
屋上で感じた、路面電車の音。瀬戸内からの風。今ある幸せや豊かさを、私たちは確かに噛み締めていた。
この場所で、マリーと一緒に体験したかったのが「おりづるの壁」だ。専用の折り紙で折った折り鶴を高さ約50mから投入し、積み重なっていく様子が外からも見える、このタワーのシンボルだ。
8ヶ国語対応のアプリも活用しながらマリーに折り鶴を教えてあげた。手先が器用なマリーは、とても綺麗な鶴を折り上げた。
「せーの!」2羽の折り鶴が、クルクルと螺旋を描いて落ちていく。願いを込めて私たちはハイタッチをした。
「ぜひ、ウォールアートプロジェクト"2045 NINE HOPES"もご鑑賞ください」。金谷さんの案内で、おりづるタワーの東側にある9層のらせん状のスロープ「散歩坂」に出た。
上から下までの長さ(歩行距離)は約450m。歩き進むにつれて見え方が変わる景色を、開放的な気分で楽しめるのがポイントだが、今はそこで戦後100年への「願い」が描かれた9層の巨大アート「ウォールアート」を鑑賞することができる。
ここは、1層目から「過去を創ってきた世代」→「現在を作っている世代」→「未来を創る世代」と階層が上がるにつれて、アーティストの年代が層となり移り変わるのがポイントだ。20代~90代の、さまざまな世代のアーティストが、後世に残したい2045年への「願い」をアートで表現しているのだそうだ。
「上の層から楽しんでいただいても、もちろん大丈夫ですよ」。
そう聞いたので、未来を創る世代の作品から鑑賞しながら降りていく。
駆け上がっていく馬の影。制作中に、色が特別な意味を持った虹色の招き猫。朝をモチーフにした宣言。366日分の誕生花。鳩から始まり鯉で終わる般若心経。青い空に白い雲が広がるよう描かれる白い小径。二羽の白いカラス。平和元年の夢の月面。被爆体験から「原爆の形象」として描き続けた3つの作品から成り立つ光…。
皆、広島ゆかりのアーティストだという。
おりづるタワーには、それぞれの平和観と向き合ってほしい、という願いも込められていますという金谷さんの言葉もあったので、互いに自由に思うことを口にした。
途中、エキサイティングなすべり台“くるくるくーる”(Slide”cool-cool-cool”)も楽しんだ。「この高さで滑り台を体験することもそうないですよね」と金谷さん。
フランスにはそもそもない、というマリーは「cool!」と言いながら楽しんでいた。坂から、サンフレッチェの新スタジアムと旧広島市民球場跡のゲートパーク予定地が見えた。今、見えている未来。その街並みと記録写真を比べながら、今度は私たちが私たちなりの平和を描く番だ、と思った。
タワーからの広島を堪能し、外へ出る。夕焼けに照らされた原爆ドームがより強く、そして優しく感じられた。記念物として残すか、悲しい思い出につながるから取り壊すのか。議論を重ねて今、この街を見守ってくれている大きな存在は、これからも私たちに未来を問い続けてくれるだろう。
「ナツキの広島ツアー、最後の展示は…『人』です!」
平和を学び、感じた後は、今の広島を盛り上げる「人」を堪能してもらおうと考えた。舞台となるのは、中四国最大の繁華街「流川(ながれかわ)」。留学中、しょっちゅうワインで乾杯していた私たちにとっての天国だ。
「今日、私たちはこの街で、一夜限りの探偵になります!」続けて伝えると、「ディープなスポットに連れて行ってくれるとは言っていたけれど、どういうこと?」と飲みたくて仕方がない様子のマリーが、即座に返してきた。
本日最後のプラン、「ひろしまミステリーナイト 」の説明をする。これは、ひろしま美術館でも行われているひろしまナイトミュージアムシリーズの第4弾で、「ミステリー型演劇 × 飲み歩き体験」という全く新しい体験型のエンターテインメントなのだ。
その設定で、私たちは探偵事務所の見習いとなり、「採用試験」として流川で夜な夜な起こる奇妙な事件を解決しなければならない。聞き込みとして、広島の銘酒を楽しみながら流川のディープスポットを巡ることができるのだ(ソフトドリンクを選択することも可能)。
夜の本番はこれからだという時間にも関わらず、流川は早くもネオンが輝いて熱気を帯びている。集合場所は仏壇通りにある、入り口で光り輝く噴水が目印の「レックスビル1」だ。これぞ昭和!という風情の煌びやかな階段を2階へ上がり、「ノウブル天馬」のドアを開ける。するとそこには赤い絨毯、花柄のソファ。まるで、探偵映画のセットのようだった。
他の参加者、いや、探偵見習いたちと椅子に座っていると、流川探偵事務所の所長が現れた。
「お待たせ、お待たせ!いい面構えじゃないの!ようこそ。広島最大の歓楽街、流川へ!」この人の下についたら苦労するだろうな….いや、訂正。毎日がエキサイティングで退屈しないだろうな!という豪快さに口角が上がる。所長は続ける。
「みんな探偵になりたいか?今、この事務所では3人の依頼人から、奇妙な事件の依頼を受けている。今日、皆さんには3つの謎を解いてもらいたい!3つの班に分かれて、聞き込みを行い、事件を解決に導いてくれ。さぁ、準備はいいか?解いてきてくれたまえ!!」
所長の名刺を見ると、依頼人のいる店の住所が書かれている。一緒に受け取った探偵手帳に依頼人の名前を書いて、私たちは早速街へ出た。
まず一軒目。集合場所から歩いて数分、カフェバーや和食屋さんのある小道に足を踏み入れると、私たちが最初に向かうべきお店「BAR WOOT」があった。
ダークな木目が落ち着いた雰囲気を醸し出すカウンター。その向こうにいるバーテンダーさんが、一人目の依頼人だ。聞けば、乾杯の前に合言葉を言わないと飲めないらしい。なるほど…!飲みたい気持ちが私たちの探偵魂に火をつける。
英単語の暗号が、解くべき謎となっていた。ヒントは、「探偵たるもの、相手の裏を読め…?」
乾いた喉から質問を発し、バーテンダーさんとやり取りしながら、答えを導いていく。「正解です!」やった!そうして私たちは無事に、乾杯をすることができた。
このバーで出されたお酒は、広島の酒どころ、西条の酒蔵・賀茂鶴を代表する大吟醸酒「特製ゴールド賀茂鶴」だ。 優雅な香りと芳醇な味わいに、桜の花びら型金箔が入っているのが特徴で、銀座の超有名なお寿司屋さんで愛用されていることでもおなじみだ。
乾いた喉に大吟醸が染み渡り、空っぽの胃に火が灯る。
「〜〜〜〜っ!!」
声にならない声をあげ私たちは文字通り、一息ついた。お酒の勢いも相まって、気分はすっかりもう探偵。次なる店へと運んだ足どりは、まだ、しっかりしたものだった。
BAR WOOTから歩いて数分の場所に、二軒目のお店「マーチャント オブ ヴェニス」があり、そこに二人目の依頼人がいるという。
薄暗く、急な階段を上がり、入口の扉を開ける。セットのような店内に、ジャズが響いていた。カウンターの中に、黒縁の丸メガネをかけた女性がいた。二人目の依頼人はスナックのママで、ここは父がやっているお店だという。早速手帳を取り出し、話を聞く。こちらも、合言葉を言わないと飲めないらしい。飲みたいから頑張らないと。
「コードネーム、教えてちょうだい?」二人目の依頼人が言う。
このツアーは、申し込み時に「好きなお酒(飲めない方はお酒以外)」と、「探偵としてのコードネーム」を入力することになっている。
「私は、『風呂』です!」
「私は…『ヤキトリ』です!!」
「ええっ!?風呂に、ヤキトリ…!?」丸メガネをかけた依頼人の目が、大きく丸く開かれた。マリーには、それとなく日本で一番好きな食べ物を聞いていたのだ。私は趣味というか生きがいに近い「風呂」にしていた。
“どんな事件も熱く解決!”とか、“全ての謎をさばいて串刺し!”とか、いいキャッチコピーを付けられそうで、我ながら気に入っていた。
差し出された一枚の色紙に、解くべき謎が記されていた。
「ヒロシマサイコー…?」
ヒントは…うん、確かにさっきも見ていたわ。マリーには…ちょっと厳しいかな? 日本酒で火がついた私は冴えていた。答えを依頼人に告げると、目をさらに丸くして驚いた。「正解!」。
こちらで出されたお酒は、廿日市市で作られるクラフトジン「桜尾」のジントニックだ。キリッと冷えたグラスに注がれたトニックの泡を眺め、深く香りを吸い込む。
「この一杯に、広島の魅力が詰め込まれているんです」。
ヒントは広島ならではの香り。さて、なんでしょう? 謎解きと直接関係はないが、物語をさらに味わい深いものにしてくれるクイズだ。これはマリーが即答。「レモンですね!」正解。広島は柑橘王国で、レモンの生産量は日本一だ。
お酒をさらに深く知ってから、めでたく乾杯。豊なアロマが炭酸と共に、喉から体中を駆け抜けていく。「これ、お土産に買って帰りたいわ!」マリーもお気に入りのようで、謎の暗号「ヒロシマサイコー!!」を連呼していた。
聞き込みを終え、再び「ノウブル天馬」のドアを開けると、所長が待っていた。「おお!帰ってきたか!どうだった?」さっき感じたのとちょっと違う胸の高鳴りは、特製の賀茂鶴と桜尾ジントニックのせいだけではないだろう。
3つのグループが、それぞれ3軒のうち、2軒に聞き込みに行っている。そこで聞いたことを共有し、謎を解くのがクライマックスだ。
「さぁ、聞いてきたことを教えてくれ!」そうこうしているうちに、3人の依頼人が「ノウブル天馬」に入ってきた。
事件の真相、そして真犯人は…!!
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飲みすぎて覚えていない、と言うことにしておこう。
探偵には守秘義務があるから、ね。
仲良くなった「探偵見習い」仲間たちとひとしきり盛り上がって、「ノウブル天馬」を後にした。所長の名刺は巡ったお店のドリンクチケットになっているので、解決の美酒を飲みに行く。所長からの、最後の粋な指令だろう。
さて、賀茂鶴と桜尾。どちらのおかわりで解決の乾杯をしようか。その後はヤキトリもいいね、他のお酒も楽しもうね。マリーと盛り上がる。
広島サイコー。そう言える、平和が何より最高だよね。
それこそが、何よりのおもてなしになるよね。
酔い、笑い合う人々が溢れるネオンの海を、外国の友人と二人、ゆっくり泳ぎながら思う。平和がこれだけ素敵なものなのに、世界中に訪れてはいないこと。これは、人類にとっての大きな謎だ、と。
だからこそ、一人一人で小さく挑もう。まずは、隣の友達を大切にしよう。私たちなら、できるはずだよね。
フワフワとした足で次のバーに入ると、そこには探偵見習い仲間がいた。よし、もう一度乾杯をしよう。一つの謎の解決と、大きな謎への決起集会として。
※身長145cm以上
※体調不良、飲酒、妊娠中の場合は安全性担保のため参加不可
※雨天時はウォーキングツアーに切り替えあり
※最新の営業情報・詳細はHPにてご確認ください
※本ツア―は現地集合現地解散です(ご集合・解散場所は「ノウブル天馬 ※東新天地レックスビル 噴水前」)
※スタッフが案内板を持っておりますので、目印にお越しください。
※上記旅程・時間は交通機関の都合や道路状況、天候、現地事情などにより変更となる場合があります。
※本ツアーにはご自宅から集合場所までの往復のご移動は含まれておりません。ご自身にて手配ください。
※公演前に年齢確認をさせていただく場合がございます。
※18歳未満のお客様はご参加いただけません。
※20歳未満のお客様にはアルコールの提供はできかねます。
※軽食/お食事の提供はございません。
※ソフトドリンクのご用意もございます。
※舞台となる「BAR WOOT」「マーチャントオブヴェニス」のいずれかの店舗にて利用可能な500円割引チケットをお渡しいたします。(お1人様あたり1枚)