音声ガイドで体験する
7 つの内面旅行
「一生ものの非日常」
鞆の浦と、知らない自分に出会う熟年夫婦旅。
「一生ものの非日常」
鞆の浦と、知らない自分に出会う熟年夫婦旅。
「普通だったら高知。もしくは長崎や京都じゃないのか」
坂本龍馬のことがずっと好きだった、ということを初めて知った私は驚いていた。龍馬ゆかりの地といえば、まずは高知とくるだろう。それでも妻は、広島県の福山がいいと言う。どうやら、龍馬ゆかりの宿があるらしい。私とは対照的なリーダー像に惹かれていたのだろう。加えて、どうしてもやってみたかった禅体験ができるお寺もあるということで、行き先は福山になった。
広島県福山市は、県東部、瀬戸内海沿岸の中央に位置し、穏やかな気候と豊かな自然に恵まれた備後地方最大の都市です。日本で最初に国立公園として指定された港町鞆の浦は、坂本龍馬と深い関わりのある土地でもあります。
福山駅に降りると「ばらのまち福山」と大きく書いてあった。ばらなど送ったこともない私はハラハラとうろたえて冷や汗をかいた。駅前からレンタカーに乗り30分も行くと、豊かな緑の中に神勝寺が現れた。「今日は一緒に禅体験をしてもらいますね。はい」と渡されたパンフレットには「音声ガイドで体験する7つの内面旅行」とある。せっかく妻と会話をしようと思ったのに、自身と対話!?私とは話したくないのか?早くも僧から棒で叩かれたような衝撃が走った。
「神勝寺 禅と庭のミュージアム」は、さまざまな体験を通じて、禅とはなにかを感じることができる場です。白隠禅師による国内有数の禅画・墨跡コレクションや、木材で包まれた舟型の建物《洸庭》でのインスタレーション体験も大きな見どころです。
立派な総門をくぐると広い庭園に、手入れの行き届いた御堂や茶室が点在している。聞けば、ここは「神勝寺 禅と庭のミュージアム」という名で、体験できることすべてが「作品」であるという。坐禅体験に始まり、お茶を飲んだり、飴玉をなめたり、うどんを食べたりまで修行だと?子供だましか、と思ったらとんでもない。大人の目覚まし、と言ってもいいような気づきに満ちた経験だと気がつくのは、もう少し後のことだ。
音声ガイドアプリに従って、自分たちのペースで体験をしていく。まずは優美な外観の開山堂で10分の坐禅体験。半眼で呼吸を整える。妻と同じ方向を向くのはいつぶりだろうか。修行道場とされる浴室では「一つのことに集中する」。その入り口として足湯に浸かり、飴を舐める。舐め終わるまで7分。そのことだけに集中する。鳥の声、葉の揺れる音、湯にたゆたう光を感じていたら、いつの間にか渡された飴玉のように澄んだ気持ちになっていた。
仕事をしていた時も目の前のことには集中してきたつもりだけれど、なんだろう、この感じの違いは。「ミュージアム」内をゆっくり妻と歩きながら、私たちも「作品」になっていく。
非佛堂で写経をする。大切なのは、綺麗に書こうとすることではなく、ここでもやはり「目の前のことに集中する」ことだと教わる。本格的な「般若心経」の用紙とは別に、15文字、ひらがなのみの用紙も用意されている。
「わ た し が か わ れ ば せ か い が か わ る」
昔、営業時代に父から「お客さんの変えようがないなら、自分が変われ」と言われたことを思い出した。内面の旅は、どうやらいろんな時々の自分に出会わせてくれるようだ。二人して、15文字の方を選んだ。
神勝寺 禅と庭のミュージアムでは「般若心経」の本格写経体験ができます。邪心を捨て没頭するとあっという間に1時間程度が経過することもありますが、15文字での体験も行うことができます。大切なのは、禅の入り口に立ち、習慣を持ち帰ってもらうこと、と教わります。
昼食までもが修行体験という作品になっており、五観堂では雲水(修行僧)が食べている形式を体験しながらうどんをいただくことができる。修行僧にとって、読経と鳴らしもの以外一切の音はご法度で、豪快な音で食べることを許されたうどんはストレス発散にもなっていると聞いた。麺類にとどまらず、あらゆる食事を豪快な音で食べていた私は、ストレスまみれだったのだろう。うどんを待つ間にこちらをどうぞ、と紙を渡される。五観の偈(食事の前にとなえるお経)だそうだ。解説を読むと、
一つ、私は、この食事を作ってくださった人々に感謝しながらいただきます
二つ、私は、この食事をいただくために恥ずかしくない行いをいたします
三つ、私は、この食事をむやみにほしがったり、むさぼり食べることがないようにいただきます
四つ、私のからだと心に必要なだけいただきます
五つ、私は勉強や仕事をりっぱになしとげるためにいただきます
と、ある。なんてことだ。健康診断の結果以上に残念なオールE判定だ。うどんをいただけないどころか、食べても喉に詰まらせてしまいそうだ。結婚以来、妻が当たり前のように出してくれていたすべての食事に「いただきます」を言い直したいと思った。
神勝寺うどんをいただく際のお箸は「雲水箸」といい、長く、手で持つ部分が非常に太くできています。実際に修行僧が使うもので、お経を読むときの合図の柝(拍子木)がない場合に使います。
心を入れ替え美味しくうどんをいただいたあとは、含空院でお茶を飲む。穏やかな光に照らされた明るい庭園を眺めながら、内面旅行を振り返る。今まで、出張先からいろんなお土産を妻に買ってきてはいたが、今回妻のもたらしてくれた非日常の体験は、日常の中に持ち帰れる一生もののおみやげだと感じた。
神勝寺から車を20分ほど走らせると、鞆の浦へ着く。「潮待ち風待ちの港」として万葉集にも詠われたのは、この町が瀬戸内海のほぼ中央に位置しており潮の流れが変わる場所だからだそうだ。建物、路地、すべてに昔ながらの空気を感じることができ、タイムスリップしたような気持ちにさせてくれる。そのせいもあるのだろうが、写経をした後から特に妻が若返ったように見えてくる。石畳に、風景に、歩みが自然とゆっくりになる。
穏やかな瀬戸内海に浮かぶ島々を眺め宿に着く。妻が目的地としていた坂本龍馬ゆかりの宿「御舟宿いろは」だ。本瓦葺の屋根、漆喰の白壁など、情緒がある町家だ。この宿はかつて、坂本龍馬が談判の場として使用した江戸時代の町家らしい。歴史に詳しくない私が少し調べたところ、龍馬率いる海援隊が、紀州藩との賠償交渉を行なったそうだ。
待てよ。
潮の流れが変わる場所……。賠償交渉……。談判の場……。
掛け軸には龍馬の言葉が記されている。「世ノ人ハ我ヲ何トモユハバ言ヘ 我ナスコトハ我ノミゾ知ル」まさか、「一人になりたい」なんて離縁の談判じゃないだろうな。穏やかな町の夜に、穏やかでない私がいた。
坂本龍馬が属していた海援隊の「いろは丸」を鞆の浦沖で沈没させられたいろは丸事件ゆかりの「御舟宿いろは」に加え、沈没船の残骸が展示される「いろは丸展示館」、交渉の場であった「対潮楼」、そして龍馬の宿泊跡「桝屋清右衛門宅」なども見所です。
龍馬の言葉を背に、妻と二人向かい合い食事をいただく。瀬戸内の小魚、地物の新鮮な野菜などをふんだんに使った、目にも美味しい料理の数々だ。
「サツマイモのスープの隠し味は、柑橘ですか?ん、皮ごとのみかん!平目との相性も抜群ですね」料理好きな妻はひとつひとつに唸りながら、細かに感想を述べていき、分からないことがあれば料理人の方に聞く。確か、妻が美味しいものを食べている時のクセだ。
宮崎駿監督が遊び心を持ったデザインを加えたと言うこの宿は映画のセットさながらで、この場も私たちが主役のワンシーンのように思えた。いい意味ではなく、この後に待つであろう劇的な展開を思うと…。
日本酒で一息ついてから箸を置き、妻が改めてこちらを向き直す。「お話ししたいことがあるの」来た。「あなたもお仕事を離れて、世の中はこんな状況になったでしょ」来た来た来た。「だからね、私」やめてくれー!「ずっと家族に作り続けてきたお料理をね、ちゃんと仕事にしてみたいの。マンツーマンのお教室で、オンラインも使いながら。それでね、キッチンをリフォームしたいの。コツコツ貯めてきた貯金ならあるから迷惑はかけません。改築の間は困るかもしれないけど……今だから、挑戦してみたいの。いいかしら?」
妻は続けて言う。「禅体験のパンフレットに『宇宙の縮図のごとき庭に身を置き、命をつなぐものとしての食を見つめ直し、心身の垢を洗い流す。日常の実践のすべてに、覚醒の契機を見出していこうとする禅宗のあり方を』ってあったじゃない。私こうなるずっと前からずっとね、家のことをそういう気持ちでやってたの。決して、あなたや家族のためだけでなくて。だから、間違いじゃなかった!って、自分をほめてあげたかったのよね」精一杯の承諾を、感謝の気持ちでグルグルに包んで、「ありがとう…」と言うのがやっとだった。
料理を一通り堪能し、縁側に腰をかけ二人で酌み交わした。瀬戸内海のように穏やかに見えた彼女が、内面も同様に、豊かに強く私を支え続けてきてくれたのだ。改めて、当たり前への感謝が込み上げると同時に、ほめること一つしてこなかった自分を恥じた。
「わ た し が か わ れ ば せ か い が か わ る」。
昼間の写経を思い出す。変えようもないことは、これからもたくさん起こるだろう。そんな時は、いつだって自分が変わればいい。できることからでいい。まずは帰ったら、妻自慢の手料理をほめよう。100年時代、先は長い。改めて漕ぎ出そう。これからは、彼女と一緒に。