せとうちクルーザー
「貸切り、風切る非日常」
海・空・ウサギにワインで乾杯。
大人クルーズ二人旅。
「貸切り、風切る非日常」
海・空・ウサギにワインで乾杯。
大人クルーズ二人旅。
「しまなみ海道サイクリング、本当によかったですよ!ジェラート任せてもらえるようになったのも、瀬戸内海のおかげです」お店のバイトの子が言う。あの時はたくさんレモンをおみやげに持って帰ってきてくれたっけ。
彼女たちが広島から戻ってきて生き生きと働いてくれているおかげか、お客さんからの評判も上々で、つくづくスタッフに恵まれていると思う。恵まれているといえば妻の存在も大きい。もうすぐ結婚記念日だから、何かプレゼントをしたい。そう伝えたところ「私も広島行きたくなっちゃったな。今年は旅行にしない?」と言われた。
瀬戸内の空と海。確かにいい。イタリアとの共通点も多いし、食材も豊富だ。ただ、妻は自転車には乗れないし、少し大人らしい楽しみ方をしたい。調べてみると瀬戸内海には多くの立派な橋が架かっている。妻は仕事柄、建造物を見ることが好きだ。橋を下から眺めることなんてそうそうないだろう。そう考えて、この状況を乗り切ろうと頑張ってきたご褒美として、二人で瀬戸内海に行くことにした。
レストランの語源。諸説あるけれど、フランス語のレストレから来ていると言われている。英語でいえば、レストア。 古い車などをレストアすると言うように「修復し、元の状態に戻す」ことを指す。 だから、体調を回復できるよう消化に良い食べ物を提供するようになったことが由来だと言われている。僕は、この仕事に誇りを持っているし、同業者、それを支える生産者さんに感謝と敬意を抱いている。
全国、全世界中で今は大変な時期だ。レストランや生産者さん自体が元に戻ることができなくなったら、それこそ人々はどうしたらいいのか。文句を言っても始まらないから、僕は僕でできることを、とお店から離れた時はとにかく「良い客」であることを心がけている。まあ、食いしん坊の言い訳でもあるけれど。
「安芸の小京都」と言われる竹原は、広島空港から車で25分程度で着く。そこから港まではすぐだ。穏やかで広く青い空に、製煉所の煙突が象徴的だ。海が見えてくると妻のチヒロが「わぁ」と小さく声を上げた。「お腹がすいたわ」と続く。
たけはら海の駅のある竹原港には、大小さまざまな船が行き来をしている。その光景が、自分たちへのご褒美であるクルーズへの期待を高めてくれる。その前に早速ランチタイムだ。ここには地元どころか世界で有名な牡蠣の養殖業者「ファームスズキ」さんが営むレストランがある。
牡蠣は、生はもちろんグリルにフライ。ムール貝のワイン蒸しもある。車海老はお刺身、塩焼き、ピザ。その他にも瀬戸内の魚と地元の醤油を使った漬けの丼やカレーにパスタと充実している。地元のピザ屋さんやパン屋さんとのコラボメニューは、信頼関係が伺える。
まずは自分たちをレストアしないといけない。到着後、早速4品注文する。大崎上島産のレモンを絞っていただく塩田熟成の生牡蠣、リコッタチーズと車海老がたっぷり入ったピザカルツォーネ、あとはシンプルに車海老のお刺身と塩焼きだ。地元の生牡蠣と車海老を食べることで、初めての土地と繋がれた気がした。ビールを飲みながら青い空に目を細め、クルーズ船の到着を待った。
桟橋に、2人では贅沢なクルーズ船が停泊している。渋い船長が手を振ってくれている。せとうちクルーザーの西田さんだ。
「今日はよろしくお願いします!」
サポートに入ってくださる奥様にもご挨拶をし、贅沢に二人で貸切のクルーズ船は出港した。
早々に、操縦席から景色の解説が聞こえる。
「右手に見えるのが契島です。上空から見ると軍艦に見えたことから広島の軍艦島、海外の方からは日本のモン・サン・ミシェルと言われたりしています」
西田さんの口上も上々だ。船は速度を上げ、後ろに白い波の帯を伸ばし竹原港がどんどん遠ざかっていく。
※モデルはベルト式ライフジャケットを着用しています。
中は、白い皮張りのソファとダーク調のコンパクトな家具でまとめられている。しかし、こういった船にあまり乗ることもないので移動の最中はつい興奮で立ち上がってしまう。彼女は、室内の操縦席に座っている。理系ということもあり、機械類が好きなのだろう。
まずは来島海峡へ向かう。船にも慣れてきたので、西田さんのいる操縦席へはしごを登ってお邪魔する。
「西田さん、昔からこのクルーズやってらしたんですか?」
「いえ、私ね。定年後、第二の人生で始めたんですよ」
第二の人生。生涯現役で料理人をやりたいと思っているので、考えたこともなかった。
「実はね、私40年間、警視庁に勤めてまして」
「警視庁!」
「海のそばの勤務でね。いいところでした。釣りも好きでね。地元は竹原市なんですけど、親が高齢なこともあって、戻ってきて。こっちでゆっくりしようかなと思ってたんですけれど、商工会さんや地元からの声がけもあってね…」
「退職金、全部払って買いました」
2階の操縦席からひっくり返って、瀬戸内海に落ちるところだった。
「全部っすか!!」下にいるチヒロの顔が浮かぶ。お店を始めた時のことを思い出す。
「40年間、『人のため』でやってきたからね。この船も安心安全ですよ!」
どうりで景色の説明も分かりやすく、マイクの扱いも上手なはずだ。
そんな話を聞いているうちに、来島海峡大橋が見えてきた。しまなみ海道で最大の規模を誇り今治へとつながる世界初の3連吊橋だ。約9年の歳月をかけ、平成11年に開通したらしい。来島海峡は瀬戸内海の三急潮として知られていて、橋の上から見るところを、目の前で20mの渦が巻くのを見ることができた。
橋の下からこの迫力を体感できる機会なんて、そうそうないだろう。「車からだと視界の広さが違うもんね。海からだと橋がすごく薄く、4車線ある幅がすごく狭く見える。つくづく技術の高さを感じるわ」建造物好きのチヒロもうっとりと眺めている。
チヒロは美味しいものと立派な建造物を見た時の表情、つまり満足している顔が同じなのでわかりやすい。来てよかった。
「次は多々羅大橋です。私はこのルートが一番好きでしてね」
西田さんのアナウンスが聞こえる。広島県の生口島と愛媛県の大三島を結ぶ世界最大級の斜張橋、多々羅大橋が見えてくる。
「橋梁技術の進歩の過程を間近で感じることができるしまなみ海道はね、“世界に誇る橋の博物館”っていう人もいるのよ。本当にそうよね」とチヒロが言う。
一旦ここで停めましょう、と西田さん。 スピードを出して移動していた時と打って変わって、感じていた風が止み、瀬戸内海本来の穏やかさを感じる。持ち込んだ、広島三次ワイナリーのワインを開ける。「清流、白雲、朝霧、夕霧…。広島県北部の三次で太古より繰り返されてきた美しい水の循環。その一部として存在するワイン」とラベルにある。海の上で、山の恵をいただく。これ以上の贅沢なんてないんじゃないかと思う。
互いへの労いと、世界の平穏への願いと、広島の自然への感謝と、世界初や世界最大級を作った人たちへの敬意、諸々を込めて乾杯をする。グラスの赤が橋の白に映える。
「小さな自分でよかったな」
橋と海。あまりにスケールが大きなものに囲まれると、ちっぽけな自分の存在がポジティブに感じられてくる。そしてワインを口にしながら思う。
そうだ、自分の土台は料理人だ。さっき眺めた渦潮のように、自分の中で活力が渦巻いてきたのを感じた。
ワイン造りでも有名な広島県北部・三次にあるのが広島三次ワイナリー。ワインの製造工程が見学できる製造工場はもちろん、ショップ、バーベキューガーデン、カフェもあり1日楽しむことができます。西日本最大級のワインセラーを備えた「TOMOE館」では有料試飲もできるので、あなたにぴったりの一本を探してみて!
「最後は、うさぎの楽園に寄りましょう」
西田さんのアナウンスが聞こえる。
広島県内の人気スポットランキングでも常時上位に入るという、大久野島に立ち寄る。かつて毒ガス工場があったことから「地図から消された島」とも呼ばれていたが、現在は国立公園に指定され、約900羽ものうさぎが棲息することで知られているそうだ。降りると早速うさぎがいる。「ピーターラビット風の柄がいいねえ」動物好きのチヒロは嬉しそうに微笑んでいる。
奥へ進んでいくと海を背景に南国風の木が立ち並び、リゾート気分を煽る。「本島の港から15分でこられるなんていいねえ」休暇村では、キャンプやサイクリング、テニス、釣りなども楽しむことができ、夏には海水浴場や屋外プールもオープンするらしい。自分たちが慌ただしく過ごしている間にも、のんびりとした時間が流れていることを想像する。
ひと通り散歩をし船に戻る途中、海岸線沿いに大小様々なサイズのうさぎ耳のオブジェがあった。集音器と呼ばれるもので、頭を入れて島を抜ける風音や海のさざ波の音などを、うさぎの気分で聞くものらしい。頭を入れて耳をすませてみる。目を閉じ、集中する。遠く自然の音に加え、自分の心の声が聞こえた気がした。
沖クルーズを終え、竹原港の桟橋に戻ってくると、もう日が暮れかけていた。充実の時間はあっという間だ。瀬戸内の海と空、自然はもちろん、先輩夫婦のお話もたっぷりと堪能させていただいた。
お礼を告げると「最後に、何かもっとこうしたら良くなる、などアドバイスありますか?」と聞かれる。どこまでも誠実で「人のため」を考える人なんだなあと思う。「このままお二人で仲良くクルーザーを運営していってください」と、喉元まで出かかったが、言われるまでもないだろう。
お礼だけ伝えて、海の駅でおみやげをみることにした。確かに瀬戸内海は素晴らしかったよ。教えてくれてありがとう、とバイトの子にお礼を言わないといけない。
ちりめんや、老舗のかまぼこ、じゃこ天などの加工品にお米やお弁当。名産品である柑橘類のドレッシングやジャムなど、片っ端から買っていきたくなるラインナップだが、中でも目を引いたのが冷凍の牡蠣の自販機だった。お腹が空いていて、来た時は見逃していたようだ。
ファームスズキさんの牡蠣をもっと身近に楽しんでもらうための試みのようで、養殖場で瞬間冷凍したものを生きているときと変わらない鮮度で楽しむことができるらしい。世界中の食卓に並ぶ日を夢見て頑張っているということに、心から尊敬の念を抱いた。
自分はどうだろう。うさぎの耳をすまして、聞こえてきた自分の心の声。それは、とにかく今いる場所で、横にいるチヒロとお店のスタッフ、支えてくれる常連さんたちを笑顔にしていたい。それだけで上出来だ。西田さん夫妻の歳になった時どうなっているかは今は考えない。今日の今を大切に、チヒロとお店という船で生きようと思った。
「あ、西田さんへのアドバイス!」チヒロが何かを思いついたらしい。何?と聞く。
「せとうちクルーザー、じゃなくて“せとうち夫婦船”にしたらいいんじゃないかな」
あの豪華な船とのギャップがいいはず、と踵を返し小走りで桟橋に戻る。小さくて愛おしい背中を追う。白い船の横で作業をする素敵な夫婦を、瀬戸内海の夕焼けが赤く照らしていた。