被爆翌日にも車両修理を再開していた車両所
戦火が拡大すると、山陽本線は膨大な量の兵員や軍儒物資の輸送を任されました。
車両修理の円滑化を図るため、機関車修理工場の矢賀町設置が決定し、広島鉄道局広島工機部は1943年に開業しました。
1945年(昭和20年)8月6日、爆心地から4.25キロメートルで被爆。
木造2階建ての本場事務所はガラスや屋根が飛び、天井も崩れました。
機関車修理場(大建家)もスレート屋根が大破し、一部建物が傾きました。
工機部は被爆翌日には車両修理を再開。
戦時下にあって軍需輸送の使命があったため、鉄道は驚くほど早く復旧しました。
※公開については年1回開催される貨物フェスティバル車両所公開のみとなります。
INFORMATION
- 住所
- 〒732-0042広島県広島市東区矢賀5-1-1