原爆で亡くなられた御霊の冥福を祈り平和の誓いを新たにするため建立された慰霊碑。
太平洋戦争末期の昭和20年(1945)年8月6日、広島に飛来した米軍のB29が投下した一発の特殊爆弾によって未曾有の犠牲者を出した。軍は当時の似島陸軍検疫所を臨時野戦病院に指定し、負傷者の収容を開始した。収容者は一万有余名に達し、その内の半数以上、また一説では一万人近くの人がこの地で死亡したと伝えられる。その遺体は検疫所(現・ユーハイム似島歓迎交流センター)や馬匹検疫所(現・似島小学校)で焼かれたが、死亡者が余りにも多大であったため途中からは広場に大きな壕を掘ってそのまま埋めたのである。この時の原爆死没者の遺骨が二十六年を経た昭和46年(1971)10月に似島町南風泊の広島市立似島中学校のグランド敷地内の隅で発見されたことに伴い、広島市役所が昭和47年(1972)11月に建立したものである。
INFORMATION
- 料金
- 無料
- 住所
- 〒734-0017広島県広島市南区似島町字南風泊2224-16
- 電話番号
- 090-1013-4237
似島歴史ボランティアガイドの会 会長 宮﨑佳都夫
- 対応言語
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