広島開府の祖 毛利輝元

毛利輝元は、天文22年(1553年)、郡山城(現在の広島県安芸高田市)で生まれました。父・隆元の早世により若くして家督を継ぎ、祖父・元就や、元就の死後は叔父である吉川元春・小早川隆景に支えられました。

天正4年(1576年)、領内の備後国鞆浦に逃れてきた足利義昭を受け入れたことで織田信長と対立しますが、備中高松城をめぐり羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)と対峙していた最中、本能寺の変が起こり、信長が討たれたことで和睦が進められました。その後、輝元は信長の後継者となった秀吉に臣従し、中国地方九か国、112万石を領する大大名となりました。

天正16年(1588年)、輝元は豊臣秀吉に謁見し、秀吉が築いた聚楽第や大坂城を見て、城下町と一体化した政治・経済の中心地としての城郭の必要性を痛感しました。そして、天正17年(1589年)から太田川の三角州に広島城の築城を開始し、天正19年(1591年)に入城しました。

豊臣政権下において、輝元は五大老の一人に列し、重要な地位を占めました。秀吉死後の慶長5年(1600年)に勃発した関ケ原の戦いでは、徳川家康に対抗する西軍の総大将格となりましたが、西軍の敗北により周防・長門の二か国に減封されました。慶長9年(1604年)に、萩城を築いて入城。寛永2年(1625年)、73歳で生涯を閉じました。

毛利輝元が広島で築いた城とその城下町は、現在の広島市の原点となっています。

【建立年月】令和7年 (2025年)4月27日

INFORMATION

住所
730-0011広島県広島市中区基町21
電話番号
-
駐車場台数
67
駐車場料金
210円/30分月~金(平日のみ)当日1日最大料金 800円(24時まで)
駐車場備考
24時間 入出庫可一般車両 67台(うち 思いやり駐車スペース2台)

ACCESS

730-0011 
広島県広島市中区基町21

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