歴代藩主に愛好された名園元和5年(1619年)に福島正則(ふくしままさのり)が信濃国川中島(かわなかじま)に移封(いふう)された後、紀州和歌山から浅野長晟(あさのながあきら)が新しい広島藩主として入国しました。
この縮景園は、その翌年、浅野家の別邸として造られたもので、「泉邸(せんてい)」の名でも親しまれています。
長晟の命を受けて築庭にあたったのは、当時の家老で、茶人としても名高い上田宗箇(うえだそうこ)でした。
彼は、中国浙江省(せっこうしょう)の西湖(せいこ)の風景をまねて庭を造り、そこから「縮景園」の名が付けられたと言います。
この庭園は、歴代の藩主に愛好されており