瀬戸内海の中でも数多くの島が点在し、潮流が渦巻く芸予諸島で活動していた「村上海賊」。海上交通の要所を支配し、文化的な生活を送っていたと伝えられています。私たちがイメージする「海賊」とは異なった、村上海賊の本当の姿とは?!
海の安全を守っていた?
海上警護として活躍!
瀬戸内海の島々を舞台に活躍した「村上海賊」。その生業は“海賊”という言葉からは程遠いものでした。海上の要衝に関所を構えて水先案内人の派遣や海上警護などを行い、海の安全を守る集団だったのです。 “海の大名”と呼ばれたこともあり、独特の海城が今も残っています。特に有名なのが2014年本屋大賞1位『村上海賊の娘』の舞台となった能島城です。しまなみ海道周辺には村上海賊ゆかりの地が点在しているので、興味がある人はぜひ訪ねてみて。
【注目コラム】
文化庁が認定する日本遺産(Japan Heritage)に
「“日本最大の海賊”の本拠地 芸予諸島 ~よみがえる村上海賊“Murakami KAIZOKU”の記憶~」が日本遺産(Japan Heritage)認定されました。
優れた戦闘集団だった?
文学の教養を持つ文化人だった?
意外と知られていない教養人の一面
村上海賊は高い教養を持った「文化人」としての一面を持っています。その証として、日本総鎮守として知られた由緒ある「大山祇神社」に自らの思いを詠み連ねた「法楽連歌(ほうらくれんが)」を奉納して、武運を祈ったと言われています。現在も因島では水軍の出陣にあたり先勝を祈願して踊った「椋浦の法楽踊り」が伝わっています。