戦争の遺構を持つ場所
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原爆により、広島は大きなダメージを受けました。国内各地には戦争の遺跡が残る場所があり、それは広島県内にも点在していました。今では、原爆ドームや平和記念公園と同じように、過去の悲惨な歴史を振り返り、平和を訴える場所としての役割を果たしています。
中でも呉市には貴重な遺産が密集しており、“日本遺産”として文化庁から認定されています。
また福山市には戦後50年の節目に日本で最初のホロコースト教育センターが開設され、差別と偏見のない真の平和について考えることの大切さを投げかけています。
明治以降、日本産業技術の先端を走り続けた呉市の歴史や、その礎となった造船・製鋼・航空機などの科学技術を、当時の生活や文化に触れながら紹介する博物館です。呉海軍工廠で建造された戦艦「大和」を10分の1で再現。零式艦上戦闘機や人間魚雷「回天」などの実物大型資料も展示しています。本物の資料から読み取る戦争の悲惨さや平和の大切さは、見る人の心に深く刻まれるはずです。
富国強兵を掲げ近代国家を目指していた明治政府が、1889年に設置した呉鎮守府。入船山に総2階建ての洋館が建てられました。1905年の芸予地震によって倒壊した後、現在の和洋折衷様式の平屋へと再建。内装には絢爛豪華な金唐紙の美しさがあり、国の重要文化財に指定されています。
1921年、旧海軍工廠造機部の屋上に設置された塔時計です。終戦まで工廠とともに時を刻んだ高さ10mの塔時計は、現在も動いている電動親子式衝動時計として国内で最古と言われる貴重な存在で、市有形文化財に指定されています。
かつて呉海軍工廠があり最高機密エリアだった一帯に、1897年に建設された「れんが倉庫」。製品置場や大砲庫として使用され、戦後は民間企業の倉庫として転用されました。
戦艦「大和」を建造したドックの大屋根が今も残っています。当時、世界最大の大型戦艦の建造は軍事機密で、周囲から見えないようにこの大屋根のドックで建造されました。建物の周囲にはシュロ縄をカーテン替わりに垂らし、周囲に住む呉市民も中で何を作っているのか分からない状態でした。
呉鎮守府水道の貯水池として1918年に完成した堰堤。長さ97m、高さ25m、総貯水量196万㎥の重力式コンクリート造で、完成当時は東洋一の規模を誇りました。国の重要文化財に指定されています。(※現在も稼働中の水道施設のため、普段は敷地内の見学はできません。)