この居室は、安永9年(1780年)に大坂に生まれた頼山陽が少年期を過ごし、また*『日本外史』の草稿をまとめた場所として知られています。
山陽の父春水(しゅんすい)は、竹原の町人の家に生まれましたが、漢詩文に優れ、大坂に遊学して朱子学者として名を高め、広島藩学問所に登用された人物です。当時、経済の発達によって富を蓄えた町人や農民の一部は、学問や芸術の分野でも力を発揮し、この春水のように学者として名を成す者もいたのです。
春水の長男として生まれた山陽は、小さいころから詩文の才能を示し、歴史に深い興味を持っていました。21歳の時、春水が江戸に詰めている間に脱藩し、京都に向かいますが、心配した叔父